「二人(大勢)でいるのに寂しい」、そう感じることは、きっとだれにだってあるだろう。そもそも、われわれ人間はひとりでは不安定かつ無力な存在である。そんな無力な自分を支えてくれる何(だれ)かを必要としているのね。家族や友人との繋がりは、自分という不安定な存在を支えてくれると考えたいのである。
しかし大勢の中にいても、その人たちが自分に関心がない、自分を認めていないと感じればひとりでいるより寂しいと思うのではないか。うわべの繋がりでは、本質的な寂しさが癒されることはない。たとえば、容易に人と繋がることができるSNSで千人の人と繋がっても、浅い繋がりではやはり寂しさを埋めることはできない。むしろ寂しさが深まるだけだろう。
自分という存在をだれかに、もしくは何かにそのまま受け入れてもらいたい。寂しさの裏にはそんな願いがある。自分が無条件に受け入れられているという感覚はこころを癒し、満足感をもたらしてくれる。こころを癒してくれるのは、ほんの数人であっていい、そういった人たちとの繋がりが必要なのだ。
そこで救いになるかもしれないのが、川柳句会など趣味の集まりだったりするのではないか。たがいに利害関係のないことがよい。遠すぎず近すぎずの、ほどほどの距離感を保つことができるだろう。そのなかでよい人間関係が築ければ、われわれ人間の宿命のような孤独感がやわらぎ、こころの隙間を埋めてくれる居場所ともなるのではないか。しかし、寂しさを埋めてもらうことを人に求めることは控えたい。期待に応えてくれない相手には失望することになるだけだろうから。
孤独感に苦しんでいるのは自分だけではないのである。趣味に没頭することは、意識を寂しいというネガティブな感情から一時的にも引き離してくれる。また寂しいときにはだれかと会いたくなるものだが、人と会うことで逆に寂しさが増すこともある。心許せる人が一人でもいれば、会うことでエネルギーがチャージできるのね。感受性にもよるだろうが、だれもが孤独を生きているのである。
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