無神論(むしんろん)は、その世界観に神様の存在や超自然的または超越的な概念などが存在しない、または不要と主張する考え方よね。対して無宗教は、特定の宗教を信仰しない、または信仰そのものを持たないという思想・立場を指すのね。無神論と無宗教は異なる概念なのである。
無宗教が成立するには、2つの要件があるとされるのね。一つは「信仰を持たない自由を含めた信教の自由が保証されている国家で、居住環境周辺共同体によって特定の信仰を強制されることがない、あるいは回避しても社会的な制裁を科されることのない生活が保証され、かつ周知されていること」、もう一つは「特定の宗教や信仰に傾倒、ないし取り込まれることを能動的に避けるための、広範な知識や教養を得られる環境があること」。
狭義の無神論は、神が存在しないことを積極的に主張すること。この点において、無神論は思想であり主張なのね。無宗教とは宗教的主張がないことであり、神の存在をかならずしも否定しない。無宗教者の中には、特定の宗教に属していないが超越的存在を認めている者もいるのね。日本においては、神道における「八百万の神々」が潜在的に根付いており、いわゆる多神論的な環境となっているのね。
日本は、あきこを含め無宗教を自認する人の割合が多い国なのね。無宗教は無神論を意味しないため、おなじ人物が神社にも寺院にも参拝する。そのことも、やはり多神論的な環境があるからなのね。じつは、あきこも特定の宗教にのめり込むことが(大)嫌いな日本人なのね。精神的な支えをもし問われたら、(冗談ではなく)冗談めかして「八百万の神々」と答えるのではないだろうか。その中には逝った方々も含まれるのね。葬儀も、なるべくならごく簡素にするのがよい。《葬は要らぬ骨は拾うなまして経》(日野愿)。やはりえらい人の詠んだ句はちがうのね。
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