和歌山市立博物館での古文書講座「和佐地区の古文書を読む」第二回目が11日(日)にあったのね。13時半頃着。前回後ろの方に着席してよく見えなかったので、今回は前の方に。14時から15時半まで。40名?くらいの出席だろうか。熱心な人が多いようなのね。ちんぷんかんぷんの崩し字も、読めてくると楽しみになるのだろう。
下記は、最初の資料。
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➀ 江戸時代の転居届
【現代語訳】(本文のみ)
送り一札之事
一当村(=朝日村)の太右衛門の伜・市三郎と申す者は、御村(岩橋村)の源之右衛門方へ婿入りに参りますところ、このたび送り一札を発行するよう太右衛門・市三郎が願い出ましたので、発行しました。
ところで、太右衛門・市三郎の宗旨は代々浄土宗で当村浄土寺の檀家に間違いございません。ですから、寺送り証文を添えてお送りします。
今後は御村(岩橋村)の宗門改帳の人数にご加入くださいませ。
送り一札を以上のように記します。
海士郡朝日村庄屋 亀左衛門(印)
同郡同村肝煎 傳三郎(印)
文政八年 右同断 喜兵衛(印)
酉二月
名草郡和佐組岩橋村
役人衆中
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崩し字を読んでいくわけだが。まあ、昔の人は達筆よね。
ところで。赤字は肝煎(きもいり)と読むのだが。(注:庄屋の補佐をしていたのが肝煎) 亡父が生前「(うちの本家は)庄屋に次ぐ地主」だと言っていたのね。きちんと聞いていなかったので残念。はっきりしているところでは「(本家は)紀州の殿さんが鷹狩に来(られ?)たときのご休憩所」になっていて、「本家(うちは分家)には(殿様用の?)上段の間があって、そこに入ると怒られた」「〇〇と書かれた花瓶(?)があった」などと言っていたのね。「本家は医者で、土地を売って大阪に出た」と。いちどきちんと人にも聞き、郷土誌などでも調べてみたいものだと思っているのね。やはり両親や祖父母にこういうことは生前聞いておくべき。また、書きとめておくべきかと思うのね。
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