「傾聴力」ということばがあるらしい。相手の話しに耳を傾け、相手のこころに寄り添ってその話しの意味するところを理解するちからといった意味合いで使われるのね。ふつう人間には本音とたてまえがあり、社会生活のさまざまな場面ではふだんは婉曲な表現がなされがち。相手に伝えることは、双方の感情も絡んでなかなかむずかしい。
「傾聴力」だが、「きく」ということばについていうと、「訊く」は相手が言い返せないように理詰めで追い込む聞き方よね。ふだん「訊く」姿勢を取っていると、相手は委縮してしまう。込み入った深い会話を交わそうとすれば、相手の話しを「訊く」よりも「聴く」という姿勢になるかと。「聴」には、耳や目やこころで聴くとの意味合いがあるのね。相手のことばの選び方からその後ろにある意味を考え、思いの核心はどこかなどと考えるのが「聴く」姿勢なのね。英世は目とこころを傾けてシカのこころを聴いたのね。
こころで聴くというのは、相手のこころに寄り添いたいとする気持ちがまず最初にある。こころで聴けば気持ちがわかり、共感することができるのね。相手の気持ちをわかったうえで、応えることがたいせつなのね。シカの手紙を受け取った英世は、母のこころに触れたのね。多忙にかまけて親孝行ができていなかったことに気づき、反省したのかもしれない。およそ母というものは子のしあわせが一番で、何かの見返りが欲しいとはまず考えないもの。ただ、子の顔をときどき見たいという思いはあるのね。
この手紙を受け取った三年後にやっと母との再会が実現したわけだが。なんと十五年も会っていなかったのね。シカの気持ちは、おなじ母としてわかりすぎるほどよくわかる。英世も、その気持ちに応えようとしたのね。そのあたりのことに共感してなんどももらい泣きしてしまうわけです。世の息子さんたち、そういう親孝行をおかあさんたちはあまり口には出さずとも待っているのよ。
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