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  〈こころざし〉とは一つの方向を目ざす気持ちのこと。こころざしを遂げる、こころざしを同じくするなどという。また、こころのもち方についてもいう。しかし、よくよく考えてみるとよく分からないことばでもある。こころざしとは何なのだろうか。

 わたしが瓦版の会に足かけ十年も在籍したのは、前田先生の句会を守り川柳を発展させようとされるこころざしに感じて、こころざしでお応えしようと思ったからである。前田先生のおられなくなった会の空気が違ってしまったのは、そのこころざしが欠けたからである。こころざしは、それを受け止めた相手を善行動に導くのかもしれない。それは、我われの生きる意味(生きがい)にも深く関わってくる。

 我われは人生のさまざまな場面で立ち止まり、自身の生きる意味を考えることがある。はた目には満たされているように見える人でも、自分の存在価値が見いだせずに悩んでいることがある。人生で、仕事や人間関係といった問題に直面して苦しむことがあるのはふつうだが、これはそういうことでもない。

 生きていても仕方がないとか、生きる意味がわからないという苦しみにはたぶん特効薬はない。むしろ〈贅沢な悩み〉のひと言で退けられることも多いだろう。しかしそういう根源的な問いがなくなることは無い。そのことへの対処は、ひたすらみずから行動するなかで(生きる意味を)見いだしていくしかない。

 年齢的に、病をかかえた知友が増えてきている。もちろんわたしにとっても他人ごとではない。足が、目がと、次第に衰えていくのは誰にとっても如何ともしがたいことである。知友の病で〈死〉を身近なものとしてとらえたとき、自身はいまをどう生きるかという問いに向き合うことになる。誰にでもかならずやってくる死、それを肯定的にとらえた人生を生きることを考えないといけないのではないか。死ぬことは、我われのさいごの大仕事。先月30日、近所の散りかかる満開のさくらを見ながら、しみじみと思った。

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