けふを回りきのふを回るカザグルマ
けふはけふの赤鬼青鬼きて嗤う
けふのなほ西郷隆盛像寡黙
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上記は、あきこの川柳。文語の「けふ」「きのふ」「なほ」がはめ込まれているのがお分かりいただけるだろう。現代川柳なので、そういう表現も可能なわけである。もちろん句は口語で詠んでいるので、文語はそこにはめ込んでいるだけのこと。理由は、「きのう」はいいが「きょう(今日)」を使いたくないため。また、おなじ句の中に文語の「けふ」を使うと口語の「きのう」は使えないので、そのときは「きのふ」としている。3句目の「なほ」は「なお」を使いたくないので、あえて文語にしている。
×きょうを回りきのうを回るカザグルマ
△今日を回り昨日を回るカザグルマ
×きょうはきょうの赤鬼青鬼きて嗤う
△今日は今日の赤鬼青鬼きて嗤う
×きょうのなお西郷隆盛像寡黙
×今日のなお西郷隆盛像寡黙
以上、比べて見ていただければこれ以上とくに説明せずともお分かりいただけるのではないだろうか。
文体には、口語体と文語体があり、現代の一般的な書籍や新聞などの文章は口語体の書き言葉を使って書かれている。口語体は書き言葉と話し言葉に分かれるのね。文語体とは古文のような文体。口語体はいま使われている言葉の表現方法のこと。
「文章を書くときには、文語体を避けて、話し言葉を書き言葉に直し、語尾の「ですます調」と「である調」を統一する。」([出典]内閣閣甲第16号各省庁次官宛内閣官房長官依命通知『公用文作成の要領』1952)
上記で分かるように、出典は70年ほど前、かなり古いものなのね。日本国内の公用文は「文語脈の表現はなるべくやめて平明なもの」で記載するようにという指針があるのね。もちろん川柳など文芸作品においてはそれらが適用されるわけではない。文芸川柳、とくに前衛川柳と呼ばれる句には文語も口語も入り混じっていてかまわないのね。
文章を書くときには話し言葉は使わずに書き言葉にするということだが、書き言葉と話し言葉には明確な基準がなく、境界は曖昧なのね。たとえば、あきこのよく使う「すこし」「さらに」は書き言葉で、「ちょっと」「もっと」は話し言葉なのね。
また、「ですます調」か「である調」のどちらかに統一して使うということについて。「ですます調」は相手に語りかけるような文体に、「である調」は論文などの文体によく使われるのね。おなじ文章で「ですます調」と「である調」を混ぜて使うことはないと。これも上記出典からきていることだが、なにぶん政府から出された古い『公用文作成の要領』によるものなので。もちろん、どうあれ自由な表現が許容、というより重要視される川柳など文芸作品においてはこの限りではない。
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