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武士道(ぶしどう)とは、日本近世以降の封建社会における武士階級の倫理道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。(Wikipedia)

 享保元年(1716年)頃著された、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けた」の一節で有名な『葉隠』(山本常朝)。これには藩政批判などもあったためか、禁書に付され広く読まれることは無かったというのね。
 
 幕末に著された『武士道』(山岡鉄舟)によると、「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士か道と云ふ」とあるようなのね。
 
 明治維新後、家制度が解体され、武士は事実上滅び去った。明治15年(1882年)の「軍人勅諭」では、武士道ではなく「忠節」をもって天皇に仕えることとされたのね。ところが、日清戦争以降評価されるようになり、国家主義者たちは武士道を国民道徳と同一視しようとしたのね。
 
 『武士道』においては、武士や多くの日本人は自慢や傲慢を嫌い、忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう、といったことを述べている。
 
 武士道はつまるところ武士はいかに生きるべきか、一つ一つの状況下でいかにふるまうべきかの教えなのだが、その行動を律する基本原理は名誉だったのね。名誉とは名であり、面目であり、外聞。武士は何よりも名を重んじたということ。武士にとって最大の恥辱は名を汚すことだった。
 
 台湾の元総統・李登輝氏は、日本領だった頃の台湾に生まれ、日本の教育を受け、京都帝国大学で農業経済を学んだらしいのね。戦前の日本のもっともよい部分を吸収されたのではないかと。戦後民主化の過程のもとに、大和魂や武士道といった伝統的な道徳規範を喪失した日本の現状を深く憂慮しておられたというのね。戦後の教育現場が荒廃していたこともあり、そういうことを教えようとしなかった。李登輝氏は、戦後の日本人が武士道の名誉心を失い、卑屈になったと言っておられるのね。
  
 戦後日本では、戦前の苦い経験から、国家という公を嫌悪するような傾向が生じているのね。大和魂や武士道をもう一度振り返ることで、現代の日本人が得るものがあるのではないだろうか。下記、李登輝氏のことば。
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アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。
 
特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。 (愛知李登輝友の会ブログ「【李登輝講演録全文】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと」)
 
たとえば、私の総統時代、中共から絶えず激しい挑発を受けました。すると、台湾の国民も大きく動揺して、「とにかく恭順の意を表しておこう」という者や、「いや徹底的に戦って相手を屈服させよう」という者など、さまざまな人々からさまざまな反応が出てきます。こういうときにこそ、もっと大局的な視座からもっと大きな判断を打ち出すのが、民の上に立つ者の務めだと痛感しました。…
 
台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけてきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど「新台湾」はひ弱ではありません。
 
あんなものは、単なるブラフ(JOG注:脅し)にしか過ぎない。大陸は、台湾に対して80発ぐらいのミサイルを重要な個所に撃ち込めると言っています。しかし、私たちは、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字通り「備えあれば憂いなし」で全く恐れてはいないのです。 (『「武士道解題」 ノーブレス・オブリージュとは』李登輝 著/小学館)
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