多くの吟行地の中でも、いちばん印象深いのは恐山である。しかし、川上三太郎師(1891年1月3日-1968年12月26日)や尾藤三柳師(1929年8月12日- 2016年10月19日)が目に焼きつけた恐山とわたしの見た恐山とは、たぶん相当違っているだろう。観光地化したことが原因だろうが、揺さぶられるほどの感動はなかった。炎天に石石石の間を抜けてなんとか歩いてきたが、季節が違えばまた違う恐山ではなかったか。
とまれ硫黄臭の中をやっとぬけ、境内の濃厚な温泉に浸れたことはよかった。古滝(こたき)の湯。無料で開放していることも、非常に清潔だったことも、禅宗(曹洞宗)の寺らしく嬉しいことだった。こんど行くとすれば10月末、閉山ぎりぎりがよいかもしれない。また違う恐山にあえることだろう。真冬にこそ恐山はその霊山たる姿を見せるのだろうが、閉山期間に行くということまでは考えていない。バスも不通。
以前ある大会に出席した折、そこにいた方が「吟行を楽しんできて下さい」と言われるので、違和感をもったことがある。吟行は一にも二にも創作の苦しみをともなうもので、観光ではない。『たむらあきこ吟行千句』も面白いとかタメになるとかいう種類の本ではない。一人の川柳人の渾身の仕事として残り、今後文芸川柳をこころざすどなたかの参考にでもなればよいと考えているのである。
すでに『たむらあきこ千句』を出版し、この句集はありがたいことにかなりの評価をいただいた。多くの川柳人の絶えまない努力とその結実としての句集が川柳の文芸としての厚みと評価を形成してゆくと思うのである。他ジャンルの人が「川柳とは、どういう世界なのか?」と関心をもったとき、示せる質と量。川柳への評価を上げていくためには、川柳人一人一人のこころざしと努力が必要なのである。
恐山は、2017年7月21日(大祭)、川上三太郎師と尾藤三柳師それぞれの連作の影響で、ここだけはとの思いで出かけて行った地だった。私の吟行への想いの原点は両師の恐山連作にある。続いて歩く人もいない灼熱の恐山を、水をたっぷり含ませて首にかけたタオルを頼りに一時間ほども吟行してきたのだった。
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おそれざんぴんく 川上三太郎
恐山石積む愛か呪詛の手か
恐山 石石石石 死死死
恐山 イタコつぶやく蟹となる
恐山死と死の間に石を詰め
惻々と恐山死を引き寄せる
恐山ほと走る朱を落暉とす
恐山われが真紅の血は頒けず
恐山怨雨 尾藤 三柳
地の涯の宇曾利のやまの黄泉の雨
地獄谷過去は未来はすすりなく
一鴉地から生まれ輪廻の餌をあさる
てんてん てんてんと赤 ぬれ菩薩
うごくものとて血の池をたたく雨
地蔵らよ 雁啼くころは咲わんか
じょうじょうと御詠歌聞こゆ濁穢の耳
影を奪われて翳となる死者のやま
恐山うしょろ たむらあきこ
大祭はいま 炎天を抗わず
無間地獄を石が仕立てる恐山
岩に縁り露出する鬼 鬼鬼鬼
火葬のあとの骨か石かと恐山
ややななめうしろに鬼の息がある
荒涼の絵になってゆく恐山
けふはけふの赤鬼青鬼きて嗤う
どの焦げ目からも地獄が口あける
千二百年のきのうに石を積む
積む石がやがて因果を喚きだす
露岩一つ一つの裏にある地獄
苦しみのかたちを石が投げ返す
掴みきれぬものへ居る また睨む鬼
欠け地蔵 無常へ辻褄をあわす
炎天のうしょろが青を集めている
宇曾利湖の青はあの世の青だろう
寂寥の裾をひろげる大尽山
とんぼ一匹賽の河原にすべりでる
けふを回りきのふを回るカザグルマ
此岸彼岸のはなしを灼けた砂とする
湯治場の部分はきっとやわらかい
古滝の湯 がらりと入口が二つ
ひたひたと湯槽をあふれでるきのう
瞬間が煮える きのうの独歩行
呼ぶ霊がイタコの低い声になる
(註:〈うしょろ〉はアイヌ語で窪みのこと)
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観光地化された恐山?、いやはや知りませんでした。
青森県には3度ほど訪れておりますが、結局恐山には行かず終い。だいたい、飲んだくれて行けませんでした。次回こそはと、意気込んでいたのですが、……。
江畑 哲男さま
観光バスが停まっているのね。
そういうところは多いと思うのですが。
青森県屈指の観光名所、みたいな。
でも、両師の連作に惹かれて行ったので。
歩いているのも危険なほどの酷暑だったので、こんな山の上で大汗を掻き、印象には残っているのね。
それにしても、あの温泉は名湯だったと。
ただ浸かるだけの温泉なのですが。
なんと、境内にあるのね。
オドロキでした。