岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 – 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。本名・龍郎(たつお)。三重県に生まれ、大阪府で育った。
1913年に西田当百等とともに番傘川柳社を組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ)、桃谷順天館等の各社の広告を担当。グリコでは広告部長を務めた。豆文広告を発案。1936年には「一粒300メートル」で一躍脚光を浴びる。[要検証]戦前からの関西広告界で大立者だった偉人の一人である。
OSK日本歌劇団・松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。
著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。(Wikipedia)
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川柳マガジン「難解句鑑賞」に寄せられた難解句《手拭屋流すと見せて竿のさき》(岸本 水府)について。六大家の一人岸本水府の句ですが、いろいろと調べても、この句の「手拭屋」「竿」の関係が分からないのね。どなたか、この句の鑑賞の助けになるようなことで、当時の風俗などをご存じの方がおられればご教示いただきたいのね。よろしくお願いいたします。困り切っているのね。m(__)m
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私の想像ですが「友禅流し」のような情景を言っているのではないでしょうか。すなわち、手拭いを作る工程で「染色のあと川で流して糊などを落とす」という作業。まだ裁断していない長い手拭いを、上流から流して下流で竿に引っ掛けて引き揚げる。この情景を詠ったのではないでしょうか?
ネットで調べたら、手拭屋の老舗で「永楽屋」というのが京都にありますので、水府の句を紹介して、問合わせたらいかがでしょうか。電話は075-256-7881です。
新家 完司先生
なるほど。
そういうことかも知れません。
さっそく問い合わせて、間違いなければそのことを念頭に鑑賞してみます。
ありがとうございました。 (*^^)v
一粒300メートルのキャッチフレーズは
岸本水府ではなく、グリコの創業者、江崎利一が生み出したものです。私が現役の頃、グリコを担当したときに、そう聞いております。
岸本水府がグリコに入社したのは、ずっとあとです。水府がグリコのの広告部長として活躍したので、間違った風説がネットで出回っています。また、水府が作った広告の中にこのキャッチフレーズがあるのでそういう流布が定着したようですね。
菱木誠
菱木誠さま
ありがとうございます。
知識が一つ増えました。
じつは、上の句のことで完司先生の書いてくださったところに電話したんですが。
店の人も、「わからない」とおっしゃるのね。
で、難解句鑑賞には取り上げなかった記憶があります。
いい加減なことは書けないですから。