※当ブログの読者の方から「作句法」を教えてほしいとのお手紙をいただいております。柳誌に掲載のあとここにアップいたしますので、お待ちください。
「難解句鑑賞 №001」(川柳マガジン9月号から転載 執筆:たむらあきこ)
一滴、二滴、しあわせの数え方 高瀬 霜石
「ひとつ、ふたつ」ではなく「一滴、二滴」と「しあわせ」を数えると言う。「滴(てき)」とは、したたり落ちる水など液体の粒のこと。したたったあと、その場にじわりとしみ込む。「しあわせ」というものも同様にこころに沁みるものなので、数え方は「一滴、二滴」がよいと。
青白い紙はきのうの華やかさ 藤原 和美
「青白い、華やかさ」を感覚的に捉えてみる。「青白い紙」は作者のこころの隠喩。ここで言う「きのう」は昨日ということではなく、過去のある時点からさかのぼる限られた月日。いまの作者は憂いを含んだ状態にあると。「きのう」の華やかな宴(恋?)の終わったあとの虚脱感のようなものを引きずっている。「青白い紙」、まだこころは「きのう」で「華やかさ」を忘れられずに漂っているということだろう。
分に合った明るい穴に落ちている 山口 早苗
等身大の、居心地もさして悪くない「穴」なのだろう。「穴」が「明るい」というところに作者のあっけらかんとした性格が窺える。「落ちている」は、〈堕ちる〉や〈墜ちる〉ではなく、「落ち着いている」というニュアンスだろうか。自身の「穴」を明るくするのも生きてゆくちから。居場所であるその「穴」の心地のよさをも感じさせる句。
海底に未完のままの椅子がある 田代 時子
生きとし生けるものすべては海に還るが、句から感じ取れる「椅子」は、若くして逝かざるを得なかった人たちの「椅子」。先の戦争で海の藻屑と散った人たちの「椅子」なのではないか。家族のもとに帰れなかったおびただしい遺骨が「海底」には散らばっていたことだろう。たましいはいまも「海底」をさまよっているのではないだろうか。「椅子」たちの「未完のまま」に奪われた青春が償われることはない。怒りを込めたもの悲しい「椅子」たちの寡黙。深い共感をもって立ちどまる一句。
絵ろうそく点す傷あとは花だ 木野由紀子
「絵ろうそく」には雪深い北国のイメージがある。ここは平仮名だが、「ろう」を漢字で書くと虫偏の「蝋」。つくりは一か所にものが集まることを意味する。まさしく蜜ロウを指す文字。豪雪地帯はかつては冬になると長きにわたり仏壇に花がなかった。葬儀であっても仏花の一輪も無い寂しい時期があり、「ろうそく」に色彩を加え仏花の代わりとして用いられたという。
そういうことも句を鑑賞する際に句の背景として知っておくと深く味わえる。「傷あと」はもちろん作者のこころの「傷あと」。「絵ろうそく」の火を見ているうちに癒され、自身の傷もいまとなっては「花だ」と言えるまでに昇華されたということだろう。
夏の絵の皿に盛りたい首がある 神谷三八朗
つぎのような物語を想起させる。
―何枚もある「夏の絵」のうちの忘れられない一枚は、〈あの人〉がそこにいるほろ苦い思い出のある一枚。求愛はすげなく拒まれたが、片恋の鮮烈な印象はいまも脳裏にある。憎んでいたはずの彼女をそれからどれほどさがしたことか。夏が来るたびに蘇るあの出会い。片恋に過ぎなかった思い出にまだ痛みがある―。
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