ヤマサ醤油の原点醤油の故郷が和歌山ということで、次回の吟行地である銚子のイメージがふくらんできた。下記は、2011年の和歌山県知事とヤマサ醤油社長・濱口道雄氏との対談。ご参考まで。
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仁坂知事(以下仁坂)●濱口社長は現在東京・千葉を拠点とされていますが、ルーツである和歌山に対してどのような印象をお持ちでしょうか?
濱口道雄氏(以下濱口)●同じように半島に位置して海に囲まれ、さらにそれぞれ大阪・東京という大都会に隣接して都会的な部分とローカルな部分が混在しているという点で、和歌山は本社のある千葉と似ていると思います。ただ、やはり一番思いますのは和歌山県人というのは外へ出て行くという気風気概を持った人が多いのではないでしょうか。そういう我々一族も和歌山を出て銚子で醤油造りを始めたわけですが、元々は紀州人が鰯の豊かな漁場を求めて進出していったことがきっかけだそうで、そしてそこで漁法を教え漁業の道具を扱う商売を行うなど交流が深まる中で、我々も一旗揚げようと進出していったようです。
仁坂●そうですね。漁法に関しては鰹の一本釣りなどもそうですし、鰹節や醤油など、発祥が和歌山で外へ広まっていったものがいろいろありますが、ヤマサ醤油さんはそこからどういう形で発展していったのでしょうか?
濱口●銚子というところは醤油屋を営むのに非常に良い場所なんです。犬吠埼の沖合というのは黒潮と親潮がちょうどぶつかるところですが、ひとつは湿度が高く温暖で醤油造りに気候的に適していたということ。もうひとつは利根川の河口にあり水運の便に恵まれていたので江戸に醤油を運びやすかったということですね。元々、江戸の醤油というのは和歌山の湯浅など関西方面から入ってきていたそうですが、我々関東勢がこうして徐々に力をつけて強くなっていったというわけです。
仁坂●いわゆる現地生産に切り替えたわけですね。よく思うのですが、当時の日本というのは時間距離からしても今よりずっと広く、大よそ日本国内=全世界と言っても過言ではなかったわけで、そういう意味からするとヤマサ醤油さんは今で言うグローバル企業だったのではないかと思うんです。銚子に江戸、大阪にも拠点があったでしょうし、もちろん地元の広川。それを可能にしたのも、紀州沖というのは黒潮が育む海運の通り道、海の高速道路が通う海上交通の要衝だったんですね。それで醤油など和歌山に縁のグローバル企業が世界に雄飛していったのだと思うんです。また、一方で和歌山はなれ寿司や鰹節、醤油や味噌など発酵文化が発展したところでもあります。そういう食文化の元を我々は大事にしなくてはと思っています。
濱口●そうですね。食文化の元と言えば、先日、瀬戸内海の小豆島へ行った時に驚いたことがありました。伺った醤油屋さんが「湯浅から醤油の作り方を習った」と言うものですから、「やっぱり湯浅は醤油の本場、原点である」ということを再認識させられましたね。 |