目覚めるとまず思うのが前田咲二先生のこと。先月25日(だったか?)に電話をいただいてからずいぶん日があいている。(先生は自宅療養中、体調のことがあるのでこちらから電話するのは控えているのね。)
心を許していただいているので、いままでもいろいろ生まれ故郷新宮のことなどを折々に伺っている。ご家族でさえ知らないだろうこともあり、忘れないようにメモしている。
先生には句集の出版をなんども勧めさせていただいたが、結局承諾されなかった。読売新聞「よみうり時事川柳」欄の選者をされたことで川柳史にお名前は残るだろうが、やはり(川柳の)横綱と言われた方が一冊の句集も残されないというのはどうだろう。新葉館出版の企画「ベストコレクション」への240句をいままとめているところだが、できればご一緒したかった。
江田島海軍兵学校の卒業生らしく病気に向き合っても毅然とされ、25日も病状を話される中に冗談も込めて淡々としておられた。いま新宮や熊野三山のあたりを吟行しているのは、先生のご病状のことと無関係ではない。
「青岸渡寺の納骨堂に分骨してくれと(家族に)言うてるんや」
「前に(吟行で)行ったとき、場所を確かめてきました。滝の音がして、いいところですね」
「あんたもあと15年ほどしてから、来い」
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瀞峡のことを調べるうち、与謝野鉄幹・晶子夫妻が来遊、この地の歌を残していることを知った。昨日江畑哲男さんにいただいたブログへのコメントで気になり、大逆事件で刑死した大石誠之助のことを調べるうちに、与謝野鉄幹が弁護を頼んでいたことを知った。交友関係があって、与謝野夫妻が瀞峡に遊ぶ日もあったのだろうか。当時のことをあれこれ想像、すこし掘り下げれば思いがけない人と人との繋がりが見えてきたことに驚く。
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