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 恐山吟行は、切望していたことである。川上三太郎と尾藤三柳両大家それぞれの連作「おそれざんぴんく」「恐山怨雨」が私をこの地に駆り立てた。できれば出席したい会が26日に東京であり、ぎりぎりまで考えていたのだが、帰ってから数日でまた出かけることには無理があった。いままでの経験からすると、吟行から帰って最低でも三日は疲れを引き摺っていたからである。今回はお許しいただこうと思う。
 人はいつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもない。ここ十数年の周囲の数人の死が、この地に私を赴かせたとも言える。生き方を考えているつもりで、ずっと死に方を考えていたのだ。
 
最初の呼吸が死の始めであるように、我われは生まれたとたんに死にはじめている。人生は一歩一歩、死に向かっている。人生は夢であり、死が夢を覚ましてくれる。人生は旅であり、死はその終焉である。大人も子どもも、貧者も富者も、死において平等である。
 生まれたことはむしろ結末なのかも知れない。生まれてきた以上は死んでいかねばならず、生きている限りは日々の些事からも、大切な人の死に遭う悲しみからも逃れられない。しかし死は終結であると同時に開始であり、別離であると同時に心の中で近しい結びつきにもなる。あの世とはとてもよいところなのではないか? 行った人が誰一人帰ってこないのだから。

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