ここ十数年、大阪や京都をはじめ県外の句会に出るのに、言い方はヘンだが大きなコストがかかった。主に交通費と宿泊費。喫茶店での作句&電車の中での推敲がいちばん捗るので、コストなどということは考えず、ひたすら詠み続けてきた。
外に出ないと句は詠めない、は思い込みだったのか? 数か月前から川柳行脚のかたちを変えた。県外の句会への出席はほぼ選を頼まれたときだけ。浮いた分を遠方への吟行の費用に充てるためである。
従って以前のように、月間数百句の作句は無理かと思っていたが、いままでのところ同じくらいは詠めている。客のいなくなった夕方のドトールを作句工房にして、毎日数十句は詠み続けられている。このことがいちばん嬉しい。次の『吟行千句』もこのまま行けばまず出せる。
ひょっとしたら自宅だけでも作句はできるのか? ただ自宅に篭って詠むとなると、歩くという健康維持のための運動ができないので、やはりドトールくらいには出かけるのがいいのかもしれない。夕刻の買い物にかかる時間と合わせ、2時間くらいは歩き回っている。
昨日、和歌山県立図書館に郷土資料として『千句』を寄贈。いつまでもある命ではないので、できることは自分でしておかないといけない。新聞社への持ち込みなどは一切していないので、和歌山の柳人の多くは出版のことを知らない。三年間の綿密な推敲を経た一冊だが、すべての句意の分かる人は半数おられるかどうか。まず残すこと。この先かならず文芸川柳として『千句』の存在が前に出る日がくると信じている。小さな《座の文芸》に留まらず、川柳という文芸のジャンルが大きく前に出るためには、この先千句程度を収載の個人句集が続いて発刊されることを願っている。
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