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橘寺(仏頭山上宮皇院菩提寺)

橘寺(仏頭山上宮皇院菩提寺)

「やまと路」鑑賞                    たむらあきこ
深呼吸して日だまりを後にする 田中 秀貴
 「日だまり」の心地よさは別世界。とくに厳寒の続く冬には時折の「日だまり」に人が寄ってくる。それぞれに所用もあり、いつまでもいるわけにはいかない。その時は「深呼吸して」出て行く。「深呼吸」が外の厳しさを暗示。「日だまり」はこころを許す人たちとの団欒の場の暗喩と読む。

裸木の力二月の天を突く 福田 道子
 すっかり葉を落としてしまった真冬の「裸木」にも「力」。寒そうに思うのは人間が衣類に包まれることに慣れているから。「二月」の厳寒にも凛と立っていられる「力」が自然界に生きるものには自ずから備わっている。「天を突く」がよい。

先入観にぎりつぶして捨てました 西澤 知子
 どこで仕入れてきたのか「先入観」が相手を見誤らせる。「にぎりつぶして」さらに「捨てました」まで言っているのは、余程内心忸怩たるものがあるから。拘らないということが難しい。「先入観」を塗り替えながら生きているのが我々。少し視点をずらすことで相手の見え方が変わる。

泣くもんか肩に手をおくから涙 植野美津江
 上五と中七下五との間に時間的な経過が詠み込まれている。「肩に手を」置かれたことで堪えてきた糸がプツンと切れ、涙が迸り出たのである。

腐れ縁も絆と言えば美しい 柴田 園江
 「腐れ縁」は夫との関係のことか。所詮は人間、いつも一緒にいれば多少の不満は双方に出てくる。それも「絆」のうち。お互いを長年見詰めあってきた。山もあり谷もあったが、関わり続けてきたということが許し合うことに繋がったとき「絆」が生まれるのではないか。

正直に生きようとする影法師 那須 鎮彦
 おとなになれば誰でも仮面を被らざるを得ない。波風を立てないで生きていくためには、自分を抑えたりさらに偽らねばならないこともある。しかしいつも仮面を付けているとこれもまた心を病む原因に。「正直に」生きるということは見方を変えれば贅沢なこと。

心配の種を絶やさず生きている 井久保和子
 「心配の種」を「絶やさず」とは。「心配の種」が受け身ではなく、強いて絶やさないように「生きている」と読んだ方が面白い。「心配の種」があるからこそ生の実感もある。喜怒哀楽も「心配」することから生まれるのだと。

放蕩に生きた男の軽い骨 
福西 禮子
 「放蕩」は、所謂「(酒)呑む・(賭け事)打つ・(女)買う」ことか。儒教的な勧善懲悪を詠んでいるわけでもなさそうなところがよい。ただの「放蕩」なら「骨」もまず遺族や周囲の哀れみを買うだけの軽さだろう。

聞き上手折れた話に穂をつなぐ 池田みほ子
 さりげないことをさりげなく詠んでいるだけの句だが、巧い。

ぼんやりと父の背中を追っている 福尾 圭司
 男の子というのは「父の背中」がいつか越えるべきものとして意識下にあるのではないか。同性であるがゆえに反発、憎しみを抱くことがあったとしても「父」の生き方にどうしても影響される。

もやもやを袈裟斬り火酒の一気呑み 土田 欣之
 「火酒(かしゅ)」とは、火をつけると燃えるところからウォッカ・ブランデー・焼酎などアルコール分が多い蒸留酒。こういう酒の飲み方から作者の生き様まで見えてくる。傷の絶え間のない人生だったのではないだろうかと。

しっかりと隙間を埋めている小石 佐藤 辰雄
 城の石積みを彷彿させる。大きな石が動かずに何百年も持ちこたえるのは「隙間」を埋める「小石」があってのこと。現代川柳は暗喩を重ねるので「隙間」も「小石」も人間世界のことに置き換えて読む。

大晦日寄付する幸をかみしめる 増田 ヱミ
 年末に集めにこられる「寄付」は作者の居住地域の恒例のものであり、半義務的なものかも知れない。それとも街頭での呼びかけに対する自主的な「寄付」だったか。それを平穏無事に暮らしていけているからこその「幸」であるとして「かみしめる」。

思い出し笑いに鬱をひとつ吐く 細田 貴子
 「(鬱を)吐く」がよい。笑うことで身体とこころに活を入れ、少し元気を取り戻すことができた。まず笑ってみることだ。

ふるさとの風まといつく安堵感 齋藤 保子
 「ふるさと」に帰り、懐かしい顔に会う。子どもの頃遊んだ山や川を見る。どこか母の懐に帰ったような「安堵感」。「まといつく」のは「風」と「安堵感」の両方なのだろう。

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やまと番傘川柳社柳誌「川柳やまと」、2月号「やまと路」鑑賞‥《深呼吸して日だまりを後にする》(田中 秀貴)”にコメントをどうぞ

  1. 松田夕介 on 2016年3月20日 at 8:02 AM :

    たむらあきこさん。
    先日はお世話になりました。たむらあきこさんが来られると聞いて急遽僕も飛び入りで参加させてもらって、良い刺激をいただきました。

    その後足の具合はどうでしょうか?ご不便でしょうが、ご自愛ください。

    さて瓦版様の『さくやこのはな賞』来月締切分の投句からですが参加させていただきます。
    どうかよろしくお願いします。
    また静岡へ来られた時はお話聞かせて下さい。

    • たむら あきこ on 2016年3月20日 at 9:10 AM :

      松田夕介さま
      「後を夕介(君?)に任せようと思って(い)るんです」と鰹さんが12月のあの日おっしゃったのよね。会の後継者になるというのは大変だけれど、がんばってください。

      あの日も即吟が巧いと思ったのだけれど、川マガクラブ静岡句会でも特選に採らせていただいて。
      いいものをもっておられるなぁ、と。

      静岡へは、少なくともあと数回は参ります。
      富士山周辺吟行が終わっていないし。
      一度は、 たかね句会にもまいります。
      アクシデントで足を痛めたので、ちょっと弱っているけれども。
      すぐに復活しますので。
      ではまた~。咲くやこの花賞、がんばって~。 ガン(^◇^)バッテネ~

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