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 明後日4日からまた伊勢(神宮)吟行。外宮や内宮へももちろんお参りするわけだが、今回は古市参宮街道を、外宮から内宮まで歩きたい。3kmほど歩かねばならないので、足に些かの心配がある。途中数回は休憩を挟まないとむずかしいだろう。内宮へ向かう途中、左手楠部町に神田があるようなので、少し立ち寄るのもいいかもしれない。
 いつもの神宮会館の宿泊予約が5日しか取れなかったので、4日は初めてのところに泊まる。ネットの口コミを見ると些かの不安はあるが、仕方がない。
佳子さま2 報道によると若い人たちに大変な人気があるらしい秋篠宮家の佳子さまが6日、成年のご奉告に参拝されるようで、ひょっとすると前日午後から参拝ができなくなるかもしれない。5日午前中に内宮の参拝を済ませておくことに。
荒木田守武句碑2 5日は、内宮参拝後かつての神宮禰宜荒木田守武(あらきだもりたけ)(1473~1541)の句碑を訪ねることも目的の一つ。俳句や川柳に繋がる俳諧の始祖として我われ柳人も心に留めておきたい。
      元日や神代のことも 思はるる

  …守武は、禰宜職を務める一方、連歌などもよくたしなみ、その才能には優れたものがありました。十三歳のとき、宗祇の連歌集『老葉』を筆写したり、それから十年後には、兄の守晨とともに、準勅撰の連歌集『新撰菟玖波集』に一句入集を果たしたりしました。
 連歌全盛のこの頃、守武の名を高めたのは、四年がかりの推稿(ママ)の末に仕上げた『守武千句』(『俳諧之連歌独吟千句』・『独吟千句』・『飛梅千句』ともいう)の達成(天文九年完成)です。そこから一句あげてみます。
   青柳の まゆかく きしのひたひかな
 この句は、川岸に柳が芽ぶく様子を、岸という額に柳眉(美しい女性の細い眉)をかくと見立てたものです。まだ和歌風で、この『守武千句』の作業が連歌の余技であった俳諧を独立の文芸の境地へと高め、俳諧の形態を確立する嚆矢となったようです。そうしたことから、守武は、『新撰犬筑波集』の撰者の山崎宗鑑とともに「俳諧の始祖」とされています。
 この『守武千句』以外にも多くの著作物が知られており、『国書総目録 著者別索引』(岩波書店昭和五十一年)によれば、二一点あがっています。禰宜職に関連するものを別にすると、一七点が文学です。一夜で百首を詠みあげた『世中百首』、連歌師宗長の訃報を聞き日を置かずに追悼の連歌を詠んだ『宗長追善千句』、最晩年の独吟『秋津州千句』などがあります。
 そして、守武の俳諧に対する熱意と文学愛好者たちとの交遊が、後年に「伊勢風」と呼ばれる俳諧の作風の原点となったのです。((三重)県史編纂斑による)

 この地の長い歴史に思いを馳せながら遺された文物に触れ、先人たちの想いに自身の想いを重ねる。大伴家持も聖武天皇の警衛の任(内舎人(うどねり)として供奉(ぐぶ))により若い頃(23歳)にこの地を踏んでいる。のちに伊勢守任官(59歳)、伊勢神宮も度々訪れたことだろう。彼らが立った場所に影を重ねることで歴史に思いを致し、現代を重ねて川柳に詠みたいと思っている。

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