今月20日、神宮会館前でバスから降り立ったとき、どこかほっとした。周辺の豊かな緑、五十鈴川の方を向けば人家越しに山が青かった。神宮会館を宿に選んだことを心底「よかった」と思った。(写真:神宮会館の簡素な和室)
ここから神宮までは徒歩で7分ほどの距離。翌日の神宮早朝参拝では、内宮(ないくう)を1時間半ほどかけて廻ったが、幾組もの参拝者グループが次から次へと少し距離をおいてコース(?)を廻っていた。宇治橋を渡るとき、そのあとも右側通行(?)で、多人数でも効率よく廻れるようにしているようだった。
御遷宮のあった昨年は年間でなんと約1420万人もの参拝者があった。日本の人口から考えて凡そ9人に1人が昨年一年のうちにお伊勢参りをしたことになる。流行りのパワースポットということで、若い人の姿も多い。そういうことも含めて、どういうエネルギーが日本人のこころをこの地に向けて突き動かすのだろうかと思う。
(伊勢)神宮は檜(ひのき)の素木(しらき)造りの素朴なお宮である。木と萱葺(かやぶ)き屋根の萱とほんの僅かな金属とだけでできているのではないか。20年経つと古いほうのお宮はかなり朽ちてきており、萱葺き屋根は蒼く苔むしている。そのままにしておいたらそのうち土に還りそうなお宮。御正宮(ごしょうぐう)も別宮もその他のお宮も同じ。
この地に私の祖先もいつか来たのだろう、との思い。宇治橋から、五十鈴川の流れにこころを清められながら神域に入ったのもいまの私と同じだろう、と。祖先を偲び、祖先を身近に感じながら歩くことに、この地を踏む意味の一つがあるのかもしれない。
帰ったばかりなのにまた行きたくてうずうずしている。今年中に、御遷宮のあとの真木柱(まきばしら)の白く神々しいうちにお参りしたい。地図で見ると、御正宮の裏に続く道もあるようで、その道も通ってみたい。あまり人のいない時間帯に、というのも難しそうだが、1週間(?)も滞在すれば分かってくるだろう。神域にたましいを遊ばせることで心身の浄化を図りたい。
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遠いむかし私は、学校行事としてこの五十鈴川の清い流れに身を沈めた(禊)ことがあります。
しかし、「はいそれまでよ」で終わったばかりに現在の体たらく。
なかなか、心は清くとはいきません。が、せめて心は正しくありたいとは、思っています。が。
「神の道歩みて想う真心の 晴れてうれしい伊勢の旅空」 匿名
神宮式年遷宮を祝う短歌・俳句より
茶助さま
禊、ねえ。
ということは、戦争末期を知っているのね?
食べるものがあまりなくて、ひもじい思いをしたのが子供時代だったのね(と、今更のように言う)。
ま、いまでも禊はやっているでしょ。
五十鈴川というのは、日本人のこころの川ですよね。さり気なくて清らかで。