若い頃からあれこれバクチはやったが、基本的に性格が淡白に出来ているので、どれもあまり強くはなかった。
特に熱中したのは麻雀だが、これもまずまずで、「強い」と自覚したことはない。パチンコに嵌り込んだ時期もあったが、トータルすると確実に負けている。
川柳を始めてから、時間がもったいなくて、そのようなものにはまったく関心がなくなった。麻雀だけはメンバーが足りないので、数年前まで「おつきあい」で続けていた。が、これも、自動機が壊れたのを機に解散。現在は精神衛生上すこぶる爽やかな?毎日である。
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ふ~~ん。
石部金吉ではよい川柳はつくれないのかも。
完司先生の幅の広さ、というのは「飲む、打つ」で出来上がったんですね…。「賭け事は(男の)業」と知人が言っていましたが。いい意味での遊び人(?)でないとよい川柳は詠めなさそう。
はいはい~~、分かりました。(かも)
おそれいります。たしかに、若い頃は毎晩のように、夜の巷をウロウロしていましたが、遊び人という粋な肩書を頂戴するほどではありませんでした。一度だけ、ブタ箱(この言葉も古いな~)に放り込まれる直前まで行ったことがありますが、総務課長が警察署長に談判して、なんとか身請けしてくれました。まあ、勲章といえばその程度のことです。
遊び人でなくても良い川柳は作れます。肝心なのは体験。もちろん実体験だけではなく、本を読んだりの頭脳体験も含めてのこと。要はポケットをいっぱい持っているということ。もちろん、空っぽのポケットではなく、なんやかんやゴチャゴチャ入っているポケット。
待ってました!
パチンコは、40数年で、ん?百万と負けてます。でもストレス解消という大義名分? 今も時折 。麻雀は高校、特に大学は雀荘から通学という、パターンが頻繁でした。それも今夏、メンバーの自然淘汰や自分の体調で、健康を考えきっぱり辞めました。こちらはかなり勝っていたですね。ですが、盟友であった(4年前に旅立った)同い年の深町金鳥は麻雀の天才でしたね。国士無双をテンパっていたのにリーチがかかったあと、突如下りた…流局後、傍で見てた一人が「どうして下りたの?」「これが当たりだがなー」と三万を見せた。果たして、ペン三万の待ちでした。阿佐田哲也以上だ!と当時雀荘で評判になりました。最も若い頃、その筋の親分の代打ちをしてたことも。彼の麻雀話は随分ありますので、次お会いした時にでも。
ははあ~、大兄も相当の遊び人で…。私もパチンコに嵌り込んだときは、休日など、開店前から並んで台取りしたものです。でもパチンコは余程のプロでないと勝てない。
その点、麻雀は素人でも力のある者は、1年間トータルしたら勝っている。ついていないと判断したときは、敢えて勝負せず、ガマンにガマンを重ねて、最小限の負けで抑えることが出来る人は強い。これ、人生と一緒。逆風のときにガマンをして、最小限の傷で遣り過ごせる人は強い。逆風なのに、自分の非力をも顧みず突撃するのは蛮勇。蛮勇と勇気の区別がつかない人は脆い。
それにしても、役満テンバッているのに降りるって、深町金鳥さん凄いですねー。強い人って「上がるよりも、振り込まないことが肝心」という麻雀哲学を徹底しているのでしょう。私だったら「千載一遇のチャンス、当たったら諦めよう!」と、三万切っているでしょう。
はい、いずれお会いしたとき、飲みながら聞かせてください。それともあと2人、よわ~い人探してきて雀荘へ繰り込むか…。
国士無双 取り残された反逆児 晩秋
大兄のコメントを読み、小誌「明日香・新春号」に『深町金鳥・麻雀放浪記』のタイトルで、一筆することにしました。ありがとうございました。
「明日香」拝受、御礼を言い忘れていました。ありがとうございました。
新春号、楽しみにしています。
いいですねー。完司さんとてじまさん。
「ブログ読みすぐに発想 愉快なり」
また、下手な直感川柳ができました。
おそれいります。
だいたい、飲兵衛は分かりやすい人が多いので、飲兵衛と飲兵衛は波長が合うのです。