本日、土橋螢さんの葬儀にて、朝8時45分出発。鹿野町の光輪寺着は9時30分頃。ちょうど駐車場で盛桜さんと出会ってご挨拶。ほか鹿野川柳会の皆さまや「うぶみ川柳会」からも。だが、皆さんマスクをされているので直ぐには誰と分からず、ご挨拶しそびれた方も多々あり。10時より本堂で開式。終了後、柩に花を手向けるときに螢さんと最後の対面。痩せておられたが、すっきり穏やかな表情をされていた。霊柩車の出発まではお見送りせず、そこで失礼。写真上、いずれも光輪寺手前の【川柳街道】付近の蕎麦の花。
螢さんの句集に対して小島蘭幸川柳塔社主幹が記された序文(平成24年)に挙げられた作品より5句をピックアップ。6句目は、私の本「川柳の理論と実践」の85頁で「7音10音の句」のサンプルとして借用したもの。この作品にはチョッと苦い思い出あり(※)。
昭和史の陰から飛んできた螢
雪達磨春を迎えに行ったきり
父ははのうしろの山に雪が降る
反省をしている虫が鳴いている
木枯らしや死んではならぬ人が死ぬ
会釈をしたら信号が青になる
(※)「川柳の理論と実践」は川柳マガジンに連載したものを纏めたものだが、連載中に「7音10音の句」のサンプルとして紹介したのは【礼儀正しき海軍の生き残り 土橋 螢】だった。だが、それを見た螢さんから自分の句ではない旨の連絡があり、直ぐに「しまった!」と気が付いた。これは私の句で、モデルが螢さん。そのことばかりが頭にあったので、螢さんの作品と思い込んでいたのだ。螢さんに謝って「7音10音の作品ありませんか?」と。訊いたところ、即座に返ってきたのが、この「会釈をしたら…」だった。 もちろん、新葉館出版さんに事情を話して、出版のときに差し替えていただいた次第。ちなみに「礼儀正しき海軍の生き残り」は私の最初の句集である「平成元年」の16頁に収録(写真下)。改めて螢さんに捧げたい。 ・ 〔本日の仕事と歩数〕葦群抄鑑賞ピックアップ。(4,551歩)。
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下は今日までに届いた句会や大会の中止(延期)情報です。総て把握していませんので、出席予定の会は主催者にお問い合わせ下さい。日程が済んだものは細字に。(9月30日までのは消去。記録が必要な方は以前のブログをご覧下さい)
10月 瓦版の会10月例会(大阪) ⇒ 誌上句会に変更(10月3日必着)
10月3日(土)第26回川柳塔まつり(大阪) ⇒ 誌上大会に変更。9月30日締切。
10月3日(土)川柳塔まつえ吟社10月句会(島根) ⇒ 誌上句会に変更
10月11日(日)第72回・西日本川柳大会(岡山)⇒ 事前投句の部のみ実施(締切り済)
10月24日(土)第44回鳥取県川柳大会(鳥取)
10月25日(日)出雲川柳会95周年記念大会(島根)⇒ 来年10月17日(日)に延期
10月31日(土)第43回・神戸川柳大会(神戸)
11月 瓦版の会11月例会(大阪) ⇒ 誌上句会に変更(11月3日必着)
11月6日(金)川柳塔社11月句会(大阪) ⇒ 誌上句会に変更。
11月7日(土)川柳塔まつえ吟社11月句会(島根) ⇒ 誌上句会に変更
11月8日(日)国民文化祭・みやざき2020(宮崎)⇒ 来年に延期
12月5日(土)川柳塔まつえ吟社12月句会(島根) ⇒ 誌上句会に変更
12月7日(月)川柳塔社12月句会(大阪)⇒ 誌上句会に変更。
12月13日(日)没句供養川柳大会(鳥取)⇒ 誌上大会に変更
《礼儀正しき海軍の生き残り》
この句、前田先生のことを思いながら読んだことを思い出しました。
そうですか。
土橋螢さんのことだったのね。
ところで。
《父ははのうしろの山に雪が降る》にはびっくりしました。
心象句でしょうが、このような句があるのですね。
これは、こころに留めておきたい一句。
ありがとうございました。
ありがとうございます。上にも書いていますが、この句は「平成元年」に収録しているもので、その頃はまだ咲二さんと交流はありませんでした。
咲二さんは海軍兵学校、螢さんは予科練で、軍人として鍛えられたメリハリのある言動は似ているところがありました。私とは13歳違い。厳しく広々とした長兄のムードで、「完ちゃん、完ちゃん!」と可愛がっていただきました。
白いソバの花咲く川柳街道を、土橋蛍さんは消えていってしまわれたのですね。野辺送りの写真を拝見していて、涙があふれてきました。礼儀正しく、優しい眼差しの蛍さん、たくさんのご指導ありがとうございました。
おはようございます。
年齢順なので仕方がないと言えば仕方がありませんが、残念なことです。昨夕、大山滝句座のバックナンバーを調べましたら、出席者名が2011年12月号まで載っています。ということは82歳。その頃に病気をされて運転免許を返上されたのだと思います。