・本日、調べることがあって、アルバムを繰っていたら、懐かしい写真が出てきた(写真2)。ご紹介するまでもないが、私の右でカラオケのマイクを持っておられるのは東野大八先生(1914~2001)(私より28歳上)。写真にはメモがないので、いつ?何処で?ということが不明。先生が亡くなられたのは23年前の2001年。亡くなられる10年ほど前のこととすれば、1991年で先生が77歳、私が49歳の頃。写真はピンボケで解り難いが、まあまあその前後であろうか。
・本日、午前中は曇天。写真1は昼前散歩の農道の脇道。雑木林と竹林が入り混じっているような所だが、雑草が枯れて明るくなって歩きやすかった。夕刻は冷たい雨が降ってきたので、ホームセンターを買い物ついでにウロウロ。それでも5,000歩足らずだったので、傘を差して総合公園の遊歩道を歩いてようやく7,000歩以上。〔仕事&歩数〕塔社常任理事会向けの資料作成。7,550歩。
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東野大八さん、初対面だったので検索してみました。
1914年愛媛県大洲市生まれ。高等小学校卒業後大阪へ。「大阪新聞」入社後、満州独立守備隊入営。現地除隊後「月刊満州」に入社。その後「新京日日新聞」「蒙疆新聞」で活躍するも、再度召集され負傷し隻手となる。大陸では石原青竜刀の「川柳大陸」同人。「東亜川柳」設立同人。戦後は麻生路郎の「川柳雑誌」等に寄稿、幅広く柳界で活躍し日本川柳協会顧問となる。2001年没
『川柳の群像 明治・大正・昭和の川柳作家一〇〇人』より
こんばんは~。詳しい情報を有り難うございます。
戦後の疲弊した川柳界を纏めて立ち上がらせた功労者の一人です。川柳塔誌にも、長く「川柳の群像」などを連載執筆して頂きました。
私など、先生から見れば「世間知らずの青二才」だったでしょうが、分け隔てなく、優しく親しく接してくださいました。恩人の一人です。
拙著「良い川柳から学ぶ 秀句の条件」の192頁にも、大八先生の「隻手老残十三句」から幾つかの作品を取り上げてご紹介しています。