本日第1水曜日にて医光寺の坐禅会例会日。10月より冬時間に移行しているため、5時前起床。5時15分出発。25分、お寺着。30分より坐禅開始。ガッチリ着込んで行ったので身体は寒くなかったが、足先と手の指が冷え切ってしまった。 坐禅終了後、般若心経・法話拝聴・お粥とお茶菓子頂戴・しばし談笑して退去。本日の参禅者12名。 写真上下ともに、夕刻5時前の散歩道にて。
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あきニャンざます。(本日は芦屋夫人風) 新家完司研究(そんな大層なもんじゃないけど、いまヒマなんで)。 下記はキーワード。 a 座禅会 謡曲 b 宴会好き カラオケ aとbは水と油。完司先生の体内には両方が取り込まれている。あきニャンは、完司先生の本質はaだと思っているんですよねー。真面目かつかなり暗い(ゴメン)性格。 bはひと言でいうと仮面、あとからくっつけたもの。『平成20年』になぜ惹かれたのか。完司先生の中のaと響きあったからですね。ちなみにあきニャンはサービス精神が足りないので、宴会よりは数人でコーヒーが合っています。瓦版の懇親会ぐらいの人数で飲むのなら楽しいですけどね。 なぜこんなことを書くのかと申し上げますと、「水」の(暗~い)部分を持っておられる(と思う)完司先生が、なぜ詩性川柳を採らない(?)のかという疑問にたどり着くからなんですよねー。
こんばんは~。やっぱり写真がないと、もの足りないので、今、写真を追加しました。5時前に散歩したときのものです。 完司研究畏れ入ります。まあ、簡単に言えば「a」も「b」も混在しています。誰しも正面や裏面だけではなく、多面体であり、複雑怪奇な面をいっぱい内蔵している。だから面白い。 自分で明確に分かるのは、川柳大会の昼休みに、独りで見知らぬ街を散歩するときは「a」。大会後の懇親会で飲んで騒ぐときは「b」。 詩性川柳を採らない、ということはありません。基本的に川柳を「詩性」や「伝統」や「革新」etc.に分けて考えないようにしています。みんな同じ。要するに「私のこころに響くか、響かないか」だけです。 私が、一般的に「詩性」と言われている川柳に厳しくしているように見えるとすれば、言葉に頼り過ぎているのが見えて、「こころに響かない」だけです。 詩の断片を千切ってきただけ、とか、詩をダイジェストしただけ、というような、「青っぽい」「書生っぽい」のは、老兵のハートには、しっくりこないのです。 この欄では充分に言い尽せません。いずれ、このような考えをまとめて、小論を書こうと思っています。
あきこさんのするどいコメントに私も「そうかー」と唸ってしまいました**。初心者の私は完司さんの分かりやすい句と違ってあきこさんの句はよーく考えないと分からない(難しい)のです。それが詩性川柳なのでしょうね。真似したくても到底無理のような感じを持っていますが、どのように作句してゆくのでしょうか・・・?
こんばんは~。いつもコメントありがとうございます。 私の本「川柳の理論と実践」の「詩性川柳」というコーナーだった?と思うのですが、論理的に作った句は「分かる、分からない」という物差しでいいのですが、感覚的に掴んだ句は「感じる、感じない(こころに響く、響かない)」という物差しでいいと思います。 感覚的に掴みだして表現した句を、理屈で分析しようとすると「分からない」となってしまいますので…。 まあ、要するに、「分からない句は分からない」「感じない句は感じない」という、自分のこころに正直な受け取り方で良いと思います。 「読みが重要」という意見がありますが、敢えて無理な「読み」をする必要はないと、私は考えます。この「川柳の読みについて」についても、ここでは言い尽くせませんので、もっと深く考えて、いずれ自分の意見として纏めたい、と思っています。
加代さま >どのように作句してゆくのでしょうか・・・? というお尋ねがあったので、句のつくりかたをご参考までに。 例えば、兼題が「音楽」だとします。何も考えず、思いついたことを20句ばかり書きとめます。(20句で10分から30分くらいまで。あまり長く考えるとかえってダメ) 推敲。誰でも思いつきそうな句を捨てる。大会に出す句は、まずオリジナリティーを重視。とくに「具」がものを言うんですよね。 最後に楽器関連の句を外して「この句に類想句はありえない」の確信をもって出句。 白磁の壺はきっと奏でているのです 上記は300人を超える大会での秀句。そんなところです。完司先生、おじゃましました。
あきこさま (この場をお借りして) いままでそっとあきこさまのブログを拝見していました。その独特の感性溢れる句を読ませていただいていましたが、今日のこのブログでとうとうご本人様のコメントに接しびっくり嬉しく思いました。具体的に教えていただきましてほんとにありがとうございました。川柳界の女性のトップランナーとしてこれからもご活躍されることを祈っております。
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あきニャンざます。(本日は芦屋夫人風)
新家完司研究(そんな大層なもんじゃないけど、いまヒマなんで)。 下記はキーワード。
a 座禅会 謡曲
b 宴会好き カラオケ
aとbは水と油。完司先生の体内には両方が取り込まれている。あきニャンは、完司先生の本質はaだと思っているんですよねー。真面目かつかなり暗い(ゴメン)性格。
bはひと言でいうと仮面、あとからくっつけたもの。『平成20年』になぜ惹かれたのか。完司先生の中のaと響きあったからですね。ちなみにあきニャンはサービス精神が足りないので、宴会よりは数人でコーヒーが合っています。瓦版の懇親会ぐらいの人数で飲むのなら楽しいですけどね。
なぜこんなことを書くのかと申し上げますと、「水」の(暗~い)部分を持っておられる(と思う)完司先生が、なぜ詩性川柳を採らない(?)のかという疑問にたどり着くからなんですよねー。
こんばんは~。やっぱり写真がないと、もの足りないので、今、写真を追加しました。5時前に散歩したときのものです。
完司研究畏れ入ります。まあ、簡単に言えば「a」も「b」も混在しています。誰しも正面や裏面だけではなく、多面体であり、複雑怪奇な面をいっぱい内蔵している。だから面白い。
自分で明確に分かるのは、川柳大会の昼休みに、独りで見知らぬ街を散歩するときは「a」。大会後の懇親会で飲んで騒ぐときは「b」。
詩性川柳を採らない、ということはありません。基本的に川柳を「詩性」や「伝統」や「革新」etc.に分けて考えないようにしています。みんな同じ。要するに「私のこころに響くか、響かないか」だけです。
私が、一般的に「詩性」と言われている川柳に厳しくしているように見えるとすれば、言葉に頼り過ぎているのが見えて、「こころに響かない」だけです。
詩の断片を千切ってきただけ、とか、詩をダイジェストしただけ、というような、「青っぽい」「書生っぽい」のは、老兵のハートには、しっくりこないのです。
この欄では充分に言い尽せません。いずれ、このような考えをまとめて、小論を書こうと思っています。
あきこさんのするどいコメントに私も「そうかー」と唸ってしまいました**。初心者の私は完司さんの分かりやすい句と違ってあきこさんの句はよーく考えないと分からない(難しい)のです。それが詩性川柳なのでしょうね。真似したくても到底無理のような感じを持っていますが、どのように作句してゆくのでしょうか・・・?
こんばんは~。いつもコメントありがとうございます。
私の本「川柳の理論と実践」の「詩性川柳」というコーナーだった?と思うのですが、論理的に作った句は「分かる、分からない」という物差しでいいのですが、感覚的に掴んだ句は「感じる、感じない(こころに響く、響かない)」という物差しでいいと思います。
感覚的に掴みだして表現した句を、理屈で分析しようとすると「分からない」となってしまいますので…。
まあ、要するに、「分からない句は分からない」「感じない句は感じない」という、自分のこころに正直な受け取り方で良いと思います。
「読みが重要」という意見がありますが、敢えて無理な「読み」をする必要はないと、私は考えます。この「川柳の読みについて」についても、ここでは言い尽くせませんので、もっと深く考えて、いずれ自分の意見として纏めたい、と思っています。
加代さま
>どのように作句してゆくのでしょうか・・・?
というお尋ねがあったので、句のつくりかたをご参考までに。
例えば、兼題が「音楽」だとします。何も考えず、思いついたことを20句ばかり書きとめます。(20句で10分から30分くらいまで。あまり長く考えるとかえってダメ)
推敲。誰でも思いつきそうな句を捨てる。大会に出す句は、まずオリジナリティーを重視。とくに「具」がものを言うんですよね。
最後に楽器関連の句を外して「この句に類想句はありえない」の確信をもって出句。
白磁の壺はきっと奏でているのです
上記は300人を超える大会での秀句。そんなところです。完司先生、おじゃましました。
あきこさま
(この場をお借りして)
いままでそっとあきこさまのブログを拝見していました。その独特の感性溢れる句を読ませていただいていましたが、今日のこのブログでとうとうご本人様のコメントに接しびっくり嬉しく思いました。具体的に教えていただきましてほんとにありがとうございました。川柳界の女性のトップランナーとしてこれからもご活躍されることを祈っております。