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昨日の教室で「ジャンケンで桃太郎を決める」という内容の句について、作者からの補足説明を伺って、初耳のことだったので「ほう~!」と思った。保育園(こども園?)などで幼児が発表会の劇をやるとき、先生が役を指名するのではなく「桃太郎やりたい人は手を挙げて」というように希望を募って、人数が多かったらジャンケンで決めるのだという。しかも3人も。家来の犬、猿、雉も同じようにして3人ずつ決めるのだという。で、別々に出てくるのではなく、それぞれ3人とも舞台に上がって、3人の桃太郎が順番にセリフを言う。要するに3人で1人の桃太郎を演じるということ。犬・猿・雉も同じ。

この遣り方は、「不公平がないよう、みんな平等に」或は「出来るだけ多くの子供が参加できるように」という考えが根底にあるのだろう。確かに、先生が役を指名すると不公平感があるが、ジャンケンだったら子どもたちも納得だろう。

少し、違ってくるが、かつて、徒競走で「おててつないでゴールイン」というのがあったが(今はやっていないかも?)、これも「優劣をつけない」「みんな公平に」という考え方から生まれたものだろう。しかし、「お手てつないで」が通用するのは子どもの頃だけ。受験の年齢になるとたちまち競争の厳しさに晒される。もちろん、社会に出るとより一層厳しい現実に立ち向かわなければならない。「みんな仲良く」「公平に」は理想であるが、現実の社会が理想からほど遠い以上は、「世の中はそんなに甘いものじゃない」ということを、子どもの頃から少しずつ体験させることも大切だろう。

本日、朝からずっと小雨。気温は平年より高めだったので寒くはなかった。夕刻散歩では雨も止んでいたが、雲が厚くて夕映えも見えなかった。写真は総合公園の遊歩道にて。〔仕事と歩数〕塔社向け「愛染帖」「飛行船」再チェック後メール送稿&投函。大山滝句座会報作製。5,225歩。

 

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下は今日までに届いた句会や大会の中止(延期)情報です。総て把握していませんので、出席予定の会は主催者にお問い合わせ下さい。(1月15日までのは消去。必要な場合は過去の記録をご覧ください)

25日(金)川柳塔本社句会(大阪)⇒ 誌上句会に変更(締切り1月31日)

3月4日(木)川柳塔本社句会 ⇒ 春の塔まつり誌上大会は実施(締切2月28日)

3月、やまと番傘創立70周年大会 ⇒ 誌上大会に(締切3月31日)

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 3人桃太郎”にコメントをどうぞ

  1. 橋倉久美子 on 2021年1月22日 at 7:24 PM :

    「平等」とか「公平」には、「機会の平等」と「結果の平等」があると思います。
    「やりたい子が立候補できる」「じゃんけんで決める」は機会の平等ですが、「手をつないでゴールする」は結果の平等です。
    「機会の平等」は保証されるべきですが(たとえば「桃太郎ができるのは男の子だけ」は「機会の平等」に反しますよね)、「結果の平等」に目を向けすぎると、妙なことになります。
    なお、桃太郎を3人ではなく1人にしたり、みんなの前で一度演じてみたうえで投票で決めたりするのは、「機会の平等」には反しないと思います。桃太郎を1人にすると、「機会」が減ってはしまいますが……。

    以上のように私は思っていますが、あまり声高に言えない場面があるのもまた現実でした。
    小さい子を相手にするほど、「結果の平等」を重要視してしまうのかもしれません。

    ……と、珍しく(?)たいへんまじめに意見を述べてみました。

    • 新家 完司 on 2021年1月22日 at 8:00 PM :

      こんばんは~。
      はい、「機会の平等」と「結果の平等」、耳にしたことはありますが、あまり深く考えたことはありません。
      「機会の平等」は保障されやすいですね。希望者全員に門戸を開いている入学試験などは明確な「機会の平等」です。しかし「結果の平等」は極めて困難です。 社会主義(共産主義)を研究したことはありませんが、この極めて困難である「結果の平等」を理想として追求しているのが社会主義ではないか?と思うのですが(間違っていたらすみません…(-_-;)。
      オトナになれば結果が平等でなくても納得(諦め)できますが、小さい子にはやはり無理かもしれませんね。「世の中は甘いものじゃないよ」というのは「機会は平等だが、結果は平等じゃないよ」ということ。もっと厳しく言えば「機会も結果も平等じゃないよ」ということでしょう。

  2. 江畑 哲男 on 2021年1月22日 at 7:48 PM :

    (またまたお邪魔します。江畑です。)
    橋倉さんのご意見に全く同感です。世の中には、「機会の平等」と「結果の平等」の両方があるのです。ところが、「平等」という単語を勘違いして、安易に「結果の平等」だけを求める傾向があります。なかには、自らは何の努力もせずに(心身の状態で「出来ない」場合は別バージョン)「平等ではない!」と批判を展開する人間がいます。アレは間違い!
    「学問のすゝめ」を説いたかの福沢諭吉は、身分社会の中で「機会不平等の現状」を憂えたのでそた。それゆえ「機会の平等」を訴えたのです。日本の近代の始まりです。
    ……と、いつもながら(!)たいへんまじめに意見を述べてみました(笑)。

    • 橋倉久美子 on 2021年1月22日 at 10:28 PM :

      江畑先生(と、あえて言ってみました)に賛同いただいて、たいへん心強く思います。

  3. 松浦英夫 on 2021年1月23日 at 9:47 AM :

    ご無沙汰しています。
    雨の大阪です。
    「桃太郎」の話で一つ。
    これは桂枝雀が枕に使っていた話。
    誰を主役にするかについて、近頃は親の側からいろいろ言われるそうで…。
    困った先生は「じゃあみんな桃太郎にしましょう。桃太郎が三人の桃太郎を伴い、鬼ヶ島に桃太郎退治にいくことにしましょう」
    枝雀の創作とは思いますが、示唆にとんでいて面白いですね。

    • 完司 on 2021年1月23日 at 10:36 AM :

      お久しぶりです。
      大阪も雨ですか、こちらも降っています。
      「みんな桃太郎」、おもしろいですね。究極の「公平、平等」の姿、痛烈な皮肉でもあります。

  4. 昌紀 on 2021年1月23日 at 10:37 AM :

     モンスターペアレントに屈して、教育関係者は「結果の平等」の路線を甘んじて受け入れたのでしょうか。
     社会に出たら「結果の平等」は絶対に保証されないという事を教えない教育関係者の責任は極めて重いと考えます。
     小学校の頃は、体罰、いじめ等は日常茶飯事で、被害者も皆立派な大人になっています。良いか悪いかは別として。

    • 完司 on 2021年1月23日 at 12:55 PM :

      そうですね。私も、騒いでいて先生からどつかれたことあります。また、女生徒のカバンをふざけて蹴ったら、彼女が先生にご注進。先生から「この足が悪いんか!」と足を蹴られたこともあります。本題から離れましたが、、、。今となっては懐かしい思い出です。

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