久保田紺さんは2年前に亡くなられましたが、そのブログkon575@は、まだ「お気に入り」に残っています。先日久しぶりに開きましたら最後の記事が「2016.01.17」の日付でしたので、丁度2年後の本日、ご本人には無断で転載させていただきます。 表題が「母からのメッセージです」となっているように、紺さん自身がアップしたのではなく、娘さんか息子さんが記入されたのでしょう。
母からのメッセージです 2016.01.17 Sunday
みなさまへ みなさまがこれをお読みになるころには、私はすべてのものから解放され、自由にどこかを漂っていることでしょう。宣告のあとの人生は、みなさまのおかげで、これまででいちばん楽しい時間でした。どこかに流れ着きましたら、そこで句会の準備でもしてお待ちすることにします。それではまたそのときまで。ほんとうに、ありがとうございました。
写真上:久保田紺句集【大阪のかたち】 2015年5月25日発行。発行所・川柳カード。編集・小池正博。表紙絵・くんじろう。
この句集から引用して「川柳マガジン」に鑑賞文を書かせていただいたのが下記のもの。重い病を抱えながら、どなたにも穏やかな笑顔で接しておられた紺さん。お酒が大好きで「久保田」も本名ではなく銘酒の久保田からと聞いたときはチョッとびっくりした。
父さんは元気で生まれ変わらない 久保田 紺
・別人の如く変貌することの比喩「生まれ変わる」を下敷きにした面白さ。句集「大阪のかたち」には、《蒸し暑いですがわたしのおとうさん》もある。豪放でマイウエイをマイペースで行く、家族としては暑苦しい存在なのだろう。 ・ その父が、作者が肺癌だと診断されたとき「わしが代わります。わしが代わりますから、娘を助けてください」とボロボロ泣いて医者に訴えたのだという。何度かの手術に耐え、薬の副作用で視力を弱めながらも、《こんなとこで笑うか血ィ出てんのに》《おもしろい看板鳩がようとまる》そして《信号がどんな色でも渡ります》等々、大阪のおばちゃんパワーを発揮しているのは、豪快な父から受け継いだDNAに違いない。(川柳マガジン2015年9月号より転載)
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久保田 紺さんの掲載をありがとうございます。
私のパソコンの「お気に入り」にも残してあります。
本当に強くて優しくて素敵な方でした、いつか私も紺さんのおられる岸へ流れ着きたいですね。
紺さんにお会い出来たようで、とても嬉しかったです。
有り難うございます。
はい、いつも穏やかで明るくて、ユーモアのある素晴らしい方でした。忘れ得ぬ人、たくさんいますが、中でもピカイチです。
そうですね、いずれ彼岸の句坐で愉快にやりましょう!
おはようございます。素敵な川柳の先輩がおられたのですね。このブログがなければ永遠に知らないままの川柳人だったでしょう、、。先生に感謝するばかりです、、。これからも後輩たちのためによろしくお願いいたします❗
ところで、私事で何ですが、明日は「新春選者と投稿者の集い」も4回目となりました。選者になった時、いったいこういう素敵な川柳を投稿する男性はどんな方かな⁉と、思い自分で企画して新聞社の協力のもと始めたのですが、好評で止められなくなってしまい続いておりますよ。思わぬ事で真実を知ったらひんしゅくもんですね、、。これからエステへ顔をみがきに行ってきますね❗ではごきげんよう❗かつらより
こんにちは~。
紺さんが亡くなられたのは、56歳だったと思います。年齢的には、かつらさんより1回り下の後輩になりますね。余りにも早い旅立ちでした。
本日、山陽カルチャーで、いま吉備SAにて昼食中。簡単な返事ですみません。
とても 綺麗なかたですね。品があって・・・じっくり読んでみたいですね。
は~い、こんばんは~。
どちらに返事しようかと思いましたが、こちらにしました。
先ほど、おしんから帰ってきたところです。これからアホな行状をアップいたしま~す!
完司先生 今晩わ✨
お早うございます❗の コメントをしたのに、送信を押さず閉じたので ブーでした。今日は 暖かでしたが、お日様が影ってからは 一気に さむくなりました。美容院からでたら 首筋が・・・ヒュー❗です。
ASC(愛知・シルバー・カレッジの略)が 3月で 卒業。その後の連絡にHPを立ち上げ。連絡が入るんですが!誤字やら内容が不十分だったり・・・で 一つの連絡に 5件も入る状態❗ あ~あぁ です。早く慣れないといけないですね。
そう思うと 文切さんたちは見事です。、