【西岡京治】
現地ガイドの話の中で、しばしば尊敬の想いを込めて「西岡京治・にしおかけいじ」の名前が出た。例えば「アノオカノリンゴハ、ニシオカサンノシドウデ…」「ニシオカサンハ、ブータンデハトテモユウメイデス」というように。その名前は記憶の片隅にあったが、詳しいことはまったく知らなかった。以下は「ウィキペディア」からの記事より。詳細は〔西岡京治〕で検索してください。
〔海外技術団の農業指導者としてブータンへ赴任。28年間、農業の振興に尽力し、大きな効果を挙げ、時の国王より民間人としては最高の爵位「ダショー」を受けた。59歳のとき敗血症で死亡。葬儀はブータン政府の国葬によって執り行われた〕
【食事】
ブータンでの宿泊は「プナカ」「ティンプー」「パロ」の順で3泊。いずれのホテルも同国では一流になるのだろうが、食事はよく似たものであった。海外旅行では食事も楽しみの一つであるが、今回は特に珍しいものはなく、味も香辛料が効きすぎていたり(インド料理の影響か?)素材も野菜を中心に鶏肉と豚肉。魚は川魚が一度出ただけ。魚好きにとっては物足りなかった。珍しいと言えば、一度だけ天麩羅が出てきたが、その中で「リンゴの天麩羅」があって、結構うまかった。拙宅でもやってみようかと思うが、果肉が硬いのは向いていないだろう。
食事が「イマイチ」という印象を受けたのは、三食ともバイキング形式が多かったことも原因の一つかもしれない。我々の年代が「量より質」というように、贅沢になっている所為だろう。若くて「味よりもボリューム」という世代なら満足できたかもしれない。
今、思い出したが、食事が「イマイチ」と感じた大きな理由の一つが「米」。毎回ピラフとか白米も出てきたが、すべて「インディカ米」。粘り気がまったくなくパサパサ、しかも固め。もっぱら「ナン」を食べていた。
【アルコール】
添乗員を含めて男性10名の内、7名が飲兵衛。1人がまずまず。2人はダメ。女性は1人だけビールを少し。というような事情で、昼食と夕食には必ずビールが出た。が、当然のことながら「焼酎の湯割り」などはない。で、夕食時の前にペットボトルに作っておいてレストランへ持ち込んでグイグイ。
夕食後、飲兵衛が交代で自室を「居酒屋」にする伝統も継続された。が、皆さん歳を重ねるごとに酒量も落ちたことに加えて、マイクロバスでの移動で疲れて、たいがい1時間余りで切り上げ。10年ほど前には、深夜まで大騒ぎして他の客から叱られるほど元気であったのだが…。
【道路&車】
町と町を結ぶ道路は舗装されているが、工事中の凸凹も多く、マイクロバスは揺られっぱなし。他の車とのすれ違いは出来る程度の幅はあり。片側二車線の広い道路は首都のティンプーで少し見かけたが、そのような広い道路はほとんどない。
山の中腹や山頂などにときどき民家が見えるが、そこまでの道は乗用車は入れず、家畜や人が通れる程度の農道と思われる。町と町を結ぶメイン道路以外の枝道はすべて舗装されていない昔からの土の道。
車は、工事用のトラックや軽のタクシーなどが多いが、個人所有の乗用車は少ない。バイクはたまに見かけたが、自転車はほとんど見かけなかった。山道でサイクリングをしているカップルを発見して「おっ、珍し!」と思ったら、欧米の旅行者だった。
【ホテル】
ブータンでは3泊だったが、その内の2回は、メインの建物から離れたコテージ風の小屋。いずれも2戸が一つの建物になっている。私は1人部屋だったので、普通のホテルとは違って、「ひとりぼっち感」があって少し寂しかった。が、隣室には友人がいるので恐くはなく、得難い経験だった。
各ホテルの風呂は残念ながら最悪。湯は電熱式でタンクに溜めてあり、それが空っぽになると次に沸くまでかなり時間がかかる。タンクの容量が大きければ問題ないが、どのホテルのも浴槽の半分も満たないうちに湯がなくなってアウト。ゆっくり温まって寝ようと思っていたのに残念なことで、仕方なく、焼酎湯割りをガンガン飲んで寝た。
【ひとびと】
男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれる民族衣装を着用。どこへ行っても99%?がこの衣装。例外は警察官と軍人ぐらい。学校の制服もこれ。ただ、遊んでいる子供たちは日本と同じようなものだった。
「しあわせの国」とも言われているように、あまり怒った顔や焦った顔には出会わなかった。動作ものんびりと余裕があったが、怠けているのではなく、スーツケースの移動や食事の段取りなども的確で間違いなどは一度もなかった。
東南アジアの旅行で困惑するのは、しつこい物売りや物乞いであるが、そのようなことは一度もなかった。物質的には豊かではないが、こころに余裕があるように思えた。「国民総幸福度世界一」を目指している?というのも、あながち大げさではないように思えた。しかし、4日ほどの滞在で知りえることや感じることは、ごく僅かなもので、ブータンのほんの一端を見たに過ぎない。
民家の窓。洗濯物を干してある窓もあれば、何の肉か干してある窓もあった。壁にはこのようなドランゴンとかトラとかが書いてあるのが多い。日本で言う「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」のようなものではないか。
【おみやげ】
現地の通貨は「ヌルダム」(ニュルダム)。レートは1ヌルダム=1,7円。これまでと同じように、あらかじめ現地ガイドに依頼して、同国の金を用意してもらって両替。これまでは、通常1人1万円程度だったが、今回はあまり買うものがないだろうと、各自5000円分を用意していただいた。大きな買い物はアメリカドルが通用するので、これは小さな買い物とか土産物用。
関空でも5000円分をアメリカドルに両替していたが、これは乗り継ぎのバンコク空港でビールを飲んだりして使用。5000円分のヌルダムで何を買おうかと思案したが、適当なものがない。アメリカドルなら持って帰っても日本円に交換出来るが、ヌルダムはできないので使い切ってしまわなければならない。で、とうとう最終日、空港の売店で買ったのが家内の土産。(写真下)
パロ空港の売店で買ったもの。左からペンケース。ポーチ&巾着。それぞれブータンの織物。友人へ配る菓子類は適当なものがなく、乗り継ぎのバンコク空港で購入。6箱買うと1箱オマケという例の「エレファントチョコ」。
【にわか団長】
この旅行団、正式名称は「医光寺佛蹟参拝団」。関空往復の大型バスにもそのように掲示されている。が、団長のお寺さんご夫婦が行けなくなったので、急遽わたしに「団長」役が回ってきた。と言っても、名称だけで、特に責任ある事をするのではない。せいぜい、出発の挨拶と帰国後の締めの挨拶。そして、食事の前に行う「短いスピーチと乾杯の音頭」をして頂く人を指名するだけ。これは団員名簿の順に指名するだけなので至極簡単。だが、全員に回らず、2人残ったので、このお二人には、関空から鳥取へのバスの中で感想などを述べていただいた。その内の1人が「佛蹟参拝というのんびりした雰囲気にはほど遠い、凄まじい旅行になりました…」と言ったのには実感がこもっていた。
たしかに、窮屈な飛行機内での長時間移動。ガタガタ道をマイクロバスで果てしなく揺られたことetc.かなり老骨にはこたえた旅だった。しかし、全員が無事に帰国できたことは何よりもメデタシ! しんどかったことも得難い想い出となるだろう。
(これでブータン紀行は、一応終了いたします。見ていただいてありがとうございました)
帰路、乗り継ぎのバンコク・スワンナプーム空港、C‐7ゲートあたり。待ち時間がたっぷりあったので、遠くに見える売店へ行ったり椅子に寝転んでうとうとしたり。旅の余韻を楽しんだ。
本日午後7時前より、おしん。いつもの悪友と知人の計3名。小雪がちらつく寒い夜で、おしんはヒマ。あれこれ談笑後、久しぶりに歌って、先ほど帰宅。
早春賦 学校唱歌 82
無錫旅情 尾形大作 85
おんなの朝 美川憲一 84
あこがれの郵便馬車 岡本敦郎 89
男の横町 石原裕次郎 87
みかんの花咲く丘 学校唱歌 90
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にゃるほど。全部読ませていただきました。
ブータンが親日国というのは、西岡京治さんのお蔭もあるのかな。28年もおられたらもう立派に第二の故郷ですね。
お土産の織物、長時間かけて丁寧に織られたものなんでしょうね。
あの若くて美しい妃殿下のお衣裳も綺麗なものでした。食べ物はいささか期待外れってとこかな。
こんばんは~。
はい、西岡京治さん、奥さんと一緒に赴任されて、ついにブータンの土になられました。現地ガイドの口ぶりにも、いかに西岡さんを尊敬しているかが伺えました。偉い人がいたものです。ネットで調べたら日本の教科書にも載っているようです。
食べ物。田舎なら田舎らしい珍しいものを、と思っていましたが、ありきたりのローストチキン(これが名ばかりで、パサパサで旨くなかった)とか。男たるもの、食べ物に文句を言うものではないと心得てはいますが、毎食似たようなものばかりだとガッカリ。
織物工場(と言っても家内工業ですが)の見学にも行きました。古い機織り機で、若い女性が一本ずつ丁寧に織っていました。販売コーナーもあって、同行の皆さん、バッグや財布など、いっぱい買っておれらました。それを見ながら、「日本人は金持ちだなあ~」と感心しました。
先ほど、おしんから帰宅。追記でアップしてからネンネします。
お帰りなさい。ブータン紀行楽しく読ませて頂きました。
拝観料を取らなかったのもそうかなと思ったのですが、ブータンでは『余計なお金は人を不幸にする』という考えから観光客や観光コースまで制限していると聞きました。そんな感じでしたか?
おはようございます。
はい、観光客と観光地、両方制限しているように思います。
制限している証しとして、個人旅行は受け入れていません。すべて、現地の旅行会社と各国の旅行会社が連絡を取り合って、ツアーの人数を絞っているように思われます。(私の推定ですが…)
その理由はいろいろあるでしょうが、ホテル不足とか道路事情とか。そして、一度に近代化の波が押し寄せることの弊害とか。20世紀まで鎖国状態にあった国ですので、急激な変化は望んでいないように思われます。
なにか静かな国という感じですねー。
お土産の布の小物は素敵ですね。日本には輸出していないのでしょうか。
質問ばかりでは忙しい完司さんに迷惑だからネットでいろいろ調べてみます。ありがとうございました。
おはようございます。
そうですね。アバウト「九州ほどの面積に70万人ほどの国民」ということですから、町から離れると余り人影がありません。
労働人口も少ないので、道路工事の人の多くはインド人ということでした。そう言われて見ると、ブータンの人とは異なる浅黒いインドの風貌の人たち。女性もいました。
ブータン織物で作った小物、「仕入れて、こぎれやで売ったらどうや?」と仲間が言っていました。ペンケースは日本円で700円ぐらい?だったので、1000円で売れば儲かる。次に行くことがあれば仕入れよう、かな…。
完司さん お帰りなさい。団長さんから直々の「ブータン紀行記」を、老妻と、有意義に、拝見いたしました。3泊間の観光、その概要が、よく分かりました。以前、若い、国王ご夫婦の来日もあり、一度、行ってみたい国。楽しく読ませて頂きました。差し支えなければ、経費、いかほどか、こっそり、教えていただれますか。
こんにちは~、楽しんでいただきまして有り難うございます。
経費、こちら、鳥取という不便な地方からの出発なので、最初の日は関空のホテルに泊まるなど、余分の費用がかかりました。首都圏からの出発とは比較になりませんが、今回の旅行は30数万円でした。
先ほど「ブータンツアー」で検索すると、5~6泊で34~35万ほどでした。
機内の狭い空間で長時間ガマンとか、マイクロバスで凸凹道を揺られる等、かなり疲れますので、体力のあるうちに行かれたほうが良いでしょう。
早速の、ご教示、ありがとうございました。感謝。
新家完司様
お帰りなさい。それにしても、いつもながらの楽しいブログ、有り難うございました。そして、お疲れ様でした。
ついでに完司様のページをお借りしてのインフォメーション。
例の『台湾合同句集』、ナントカ出来上がりそうです。
3月上旬には、参加者の皆さまにお届けします。
3月2日の台湾川柳会発足20周年記念大会に、小生は出かけてきます。日本からは、ナント35名もの川柳人がその前後に海を渡るようですよ。台湾はブータンと並ぶ親日の国のようですから。
ゴメンナサイ。勝手なことを書いてしまって。
こんばんは~、今、連荘のおしんから帰宅しました。
旅の疲れは残っていますが、カラオケ歌うたびに、薄皮を剥ぐように?薄れています。
3月2日の台湾川柳会発足20周年大会、喜んで参加するところでしたが、ブータンから帰国してすぐですので、涙を飲んでパス。盛会を祈っています。そして、『日台川柳合同句集』の完成を待っています。
新家完司様
ブータンレポート1,2,3楽しく読ませて頂きました。知らない国を垣間見ることが出来、喜んでいます。かつて富山赴任中(昭和の終り=25年以上前)に、江崎玲於奈氏の講演を聞いたことがあります。「異文化に触れ吸収して人は育っていく」というくだりを思い出しました。ありがとうございました。3/6の本社句会の後を楽しみにしております。
こんばんは~。
畏れ入ります。内容の乏しいレポートですみません。本来なら、ブータンの人とも親しく交わって、もっと生活に密着したことを書くべきですが、生来の人見知りが災いして、積極的に入り込むことは出来ませんでした。
はい、また後の会を楽しみに致しております。