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先ほど、石橋芳山さんからのメールにて、柴田午朗さんの逝去を知った。
亡くなられたのは12月8日。すでにご家族にて葬儀は済んでいるそうで、12月19日に『偲ぶ会』が催されるとのこと。

【偲ぶ会】
日時: 12月19日(日) 13時より。
会場: 松江市、(株)博愛社、ハクアイ会館。
住所: 〒690-0011 松江市東津田町1640-5
    TEL (0852)25-7971 FAX (0852)25-7972
喪主? 柴田憲司(長男)
僧侶による読経などはありません。参加者の献花あり(花は主催者用意)
弔電はお受けします。

明治39年4月28日生まれ、ということは104歳。私も同じ『午』なので、3回り(36歳)先輩ということになる。偉大なる先輩、まさに巨星墜つ。
午朗さんがお元気な頃は、時々大会などでお目にかかったが、島根県伯太町母里のお宅へは、二度お邪魔したのが懐かしい思い出になっている。
(以下、記憶違いの箇所、青砥たかこさんのコメントにより訂正&加筆)
一度目は、平成8年。時実新子さんからの依頼で『川柳大学』誌、として取材させていただいた。その頃は、すでに奥さんを亡くされて、豪壮な邸宅にお一人で住んでおられた。すでに90歳になられていたが、声も張りがあり、次々と興味深い話をしていただいた。500万円もする古刀を持たせていただいたり、あの二時間余りは貴重な経験となっている。
このときの記事は、『川柳大学』誌9号に4頁か5頁?にわたって、私が撮影した写真と共に、詳細に掲載されたが、今、手元にその本はない。
二度目は、雨学さん、夢草さんと三人で訪ねた。ちょうど娘さんがおられて、屋敷のあちこちを案内していただいた。広大な庭の片隅に古いアパートのような建物があったので訊ねると、『牛や馬の家畜小屋で、今は物置にしている』とのこと。また、母屋の離れには瀟洒な茶室があり、その反対の隅には古色蒼然たる蔵があったり、ともかく、時代離れのした大邸宅であった。
このときの訪問が午朗さんとのお別れになってしまった。こころからご冥福をお祈りし、偉大なる足跡の一部を以下に記す。
(掲出句、一部記憶のままのため、表記に間違いがあれば、後日訂正する)

  敗けた国宮城道雄の琴が鳴る     柴田午朗      
  ふるさとを跨いで痩せた虹が立つ   柴田午朗
  かなしみよふくろうに似た声で泣け  柴田午朗
  男ひとり住み糸長き針を持つ      柴田午朗
  男ひとり青い魚を辛く煮る       柴田午朗
  春が断崖をよじ登ってきた      柴田午朗
  花はもうすんで仏の日が近し     柴田午朗

取材のとき『ご健康の秘訣は?』とお尋ねしたところ、『特別のことはしていないが…。大根おろしが好きで、毎食欠かさないようにしている。これが身体にいいのかもしれない』と、おっしゃっていたのを覚えている。以来、できるだけ大根おろしを食うようにしてはいるのだが、一日一度にしても、極めて至難。   

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