山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞された。暗いニュースが続く中で、まことに喜ばしいことである。
【まだこの技術は完成していない。一人の命も救っていない】というのが山中教授の口癖だとか。謙虚な人柄を偲ばせて、こころに沁みる。難病に苦しむ人のために粘り強く研究を進めて、成果を上げて頂きたいものである。
昨夜、午後7時半からのNHK「にっぽん紀行」で、88歳の煎餅屋さんが出ていた。13歳から煎餅を焼き続けているというから、もう75年も!
【セールスはやらない。真心を込めていいものを作っていると、お客さんが買いに来て下さる】 【暇になったときは、真心が足りないのだと思っている】と、なんの衒いも気負いもなく話しておられた。
想いの片鱗もなく、技術と智恵だけで捏ね上げた句は、出来の悪い煎餅と同じではないのか。(もちろん、私自身に言っているのであるが…)
写真は、本日昼前、散歩コースの総合公園にて。
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またまたあきこ。(にゃんはムギュー先生のところに遊びに行きました)
それにゃ。(あらら、戻ってきました)
1句をしぼり出すのは大変にゃ。発想が8割。誰も言ったことのないことを言うのが大変にゃ。
自分との闘いです。一昨日の「千の風になって」は沁みました。会場、感動。
またいいことを聞かせて下さいねー。
そうですね。誰も言ったことがないことを言うのは大変です。大概のことは誰かが言っていますからね~。まあ、iPS細胞の作成ほどではないでしょうが…。
でも、内容に共通性があっても、それに対する考え方とか、分析の仕方とか、切り口や語り口というのは、作者によって大いに異なります。人それぞれ、価値観や人生観や性格が異なりますから…。それが個性なのでしょう。
完司さんご無沙汰しています。
僕も最近しみる文章に遭遇しましたので、転載させてください。
「触光」29号(野沢省吾主宰)にある島田駱舟さんの文章です。
『前号の省吾さんの「共感」に共感しました。「わかる」と「共感」は重なる場合もあるし、そうでないこともあるでしょう。ただ、「わかる」で統一すると、芸術論から国語論になってしまいます。国語論は理屈ですから、ピカソのキュビズムはアウトです。芸術は感覚の世界ですから、「共感」が妥当な線でしょう。』
川柳における助詞の使い方を国語論で語る人がいますが、僕は反対です。川柳は感性であって、理屈ではないと思っています。駱舟さんの文章に溜飲を下げました。
完司さんのブログをお借りして失礼しました。
おはようございます。
今から出かけるところですので、詳しくは書けませんが、端的に言えば、川柳には、
★ 分かる分からないで受け止める句 ←理性 国語論に通じる?
★ 感じる感じないで受け止める句 ←感性 芸術論に通じるか?
乱暴に分ければ上のようになるでしょう。そのどちらにも良さがありますので、「こっちでないとダメ」というのは狭量だと思っています。このこと、私の「川柳の理論と実践」のどこかに書いていますが、今、時間がありませんので調べることが出来ません。また、帰宅してから、明朝にでも…。
7時過ぎに帰宅して晩酌を済ませたところ。上に書ききれなかったことについての追記です。
「分かる・分からない」と「感じる・感じない」については、「川柳の理論と実践」の、216~218頁に記しています。関連記事は155頁にもあります。