10回で終わりを迎えた 新春たましま川柳会
最後の大会を締め括った、選者のお歴々は近郊の川柳会を代表する人ばかり、中でも新家眼時完司さんは、日本を代表する選者。その完司さんから平抜きではあったが2句入選したことは、晴天の霹靂。何をおいても喜ばしい限りである。曲者の西村みなみさんには、予想道理全ボツ。相性だけではないようだ。
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ハーモニカ プール
三原の市役所も3月の竣工を目指して、最後の追い込みに入っているが、例の免震構造不良の問題で、今鋭意取替中だと言う。担当課長も頭の痛い話である。それにしても、織田信長以来、権力者は立派な城に住みたいのか、日本中の市庁舎の新築のニュースは後を絶たない。
三原の内港は三原駅から、徒歩500歩くらいの所に...【続きを読む】
尾道川柳同好会
尾道で油絵と言えば、小林和作。和作と言えば海。写真は同好会会場の、福祉会館のロビーに、大胆なタッチで、海の模写を市営るのが飾ってあった。川柳にも、海といえば、杉原正吉、旅と言えば、斉藤正一、風と言えば、高橋鬼焼と身近に名人がいる。正一、正吉は、すでに鬼籍に入られているが、鬼焼さんは、我が川柳奉行の...【続きを読む】
念仏の声が聞こえるまだこの世
いつだったか、ずいぶん前の話であるが悪夢にいなされて、明け方目が覚めたことがある。私が頓死して、大勢集まって葬式の準備をしている。私は棺にいれられ窮屈な思いをしている。どこからか坊さんのお経が聞こえ出した時に目が覚めた。ぐっすり汗をかいていた。
その頃わが社で、酸欠による3人の死亡事故が起こしている...【続きを読む】
川柳奉行新年句会
毎年恒例の新年会を兼ねた句会が、楽しく行われた。出席は18名で去年より5人少なかった。御多分にもれず、奉行にも高齢化波が押し寄せている欠席の大半は、本人か配偶者が何らかの疾病で、入院か家で療養中だと聞いている。出席者の中にも、88を筆頭に87・86・85と4.5人いる。
私もその中の一人であるが、今...【続きを読む】
逆縁を風が知らせる原爆忌 川柳擬より
八月六日の朝、多くの、学徒動員が、勤労奉仕に狩り出された。そして、中学校や女学校の生徒が死んだ。わが子探す親の姿は広島の街では何か月も続いた。運動場に穴を掘って投げ込まれ、石油をかけておびただしい人を焼く光景もあちこちで見られた。学生服に縫い付けられた名札が運よく見つかっても、骨とは一致しない。それ...【続きを読む】
惜春鳥追えば十九の海が見え(川柳擬より)
惜春鳥という映画は、1959年(昭和34年)に公開された、監督、木下恵介音楽、木下忠司の兄弟コンビで話題をさらった映画である。私が26歳結婚した年である。あのころは、「十代の性典」に代表されるような、青春物が、大映を中心に、流行っていた時代である。テレビは勿論なく、逢引きと言えば、映画館か、ダンスホ...【続きを読む】
夏だけの平和が右往左往する
22年ほど前の句である。その頃はまだ8月くらいには戦争について考えたものである。今は憲法改正、特に9条の改正が総理の頭の中では、秒読みが始まっている。国民投票も考えているらしいが、ここへきて、2月には沖縄の住民投票が現実味を帯びてきた。その結果には、拘束力がないなどと、無視する構えである。国民投票と...【続きを読む】
とうがらし熟れて静かな退職日
あの日からも16年経った。つまり、この16日で八十六歳になる。今日もまだ万歩家計は、1万歩を超えた。たましまの大会の作句も出来た。森鴎外の渋江抽齋もノルマだけは読むことが出来た。誌上大会への投句も、今年に入って、今日までに2社ほど済ませ、近郊の大会へはまだ行けそうであるが、全没が多くなるのは、いたし...【続きを読む】
食事会娘夫婦のサプライズ
我が家は正月2日に食事会をすることになっている。家内は2019.1.1が誕生日なので、家内の為のバースデイケーキで祝ってくれた、サプライズで食事会が大いに盛り上がった。家内曰く、私は昭和14年1月1日の誕生日で、戦争中の事でもあり、誕生日にあらたまって祝ってもらったことがなと、元旦...【続きを読む】
おみくじは、大吉と末吉
家内が足が痛いと言うので歩いて5分の宇佐八幡へ、車で初詣に行ったら、渋滞に巻き込まれて、30分ほど待たされた。おみくじは、家内が大吉で、私が末吉。足して2で割れば、中吉でバンバンザイだが、おみくじはそうはいかないらしい。家内の物忘れは、今年は小康状態で納まってくれればと願うのみである。私の末吉は、今...【続きを読む】
明けましておめでとうございます。
今年も毎日恥をさらしながら、ブログを続けることが出来ました。長男は盆に親子4人で東京から帰ったので、正月は帰らないとのこと、、長女は大阪八尾から元旦の夕方帰ってくるとメールあり、次女は市内に住んでいるが2日の夕方孫を連れて、お年玉をもらいに来るらしい。じいとばあにはどっちみち用はないらしい。
年越し...【続きを読む】
抽象の馬が方向見失う 2002
抽象の馬とは私自身。当時定年を1年残した69歳である。迷いに迷って川柳奉行の立ち上げを決断した年でもある。苦しみの中で出来たのがこの句である。方向を見失いそうになった時助けてくれたのが、隣組の投句を続けてくれた柳友である。その中にはもう鬼籍に入られたかたが、数名いるが、今でも残って、奉行を支えてくれ...【続きを読む】
島中がシャネルの5番みかん咲く
島育ちの私は、5月に咲くみかんの花の香りが、シャネルの5番と思ったには、島を出て、会社勤めをしてからだった。島で育っていたころは、ミカンの花が咲くころ、身近に決まって喘息になる人がいたし、空襲警報で明け暮れていたので、香りを楽しむ余裕はなかった。17歳で会社勤めをし、女に囲まれた職場で、色気付き出し...【続きを読む】
湯加減を問うて娘に叱られる 1998
こんな若い日が、私にもあったが、今では、二人とも老いぼれて、家内は足が痛いと言い出すし、私も、膝にヒアルロン酸を、2週間に1回、注射する始末。
今年も28日、忘年会も済み、プールも昨日すみ、GGも今日終わった。お好み屋だけは明日まで営業。あとは、ちょっとした掃除と、30日に買い物をすれば、今年の行事...【続きを読む】
体育の時間にメガネ置き忘れ
私は小学校2年生からメガネをかけていた。体育の時間には、運動場の片隅にメガネを置いて、駆けっこや、鉄棒をしていた。その頃はまだメガネに慣れていなかったので、メガネをかけるのを忘れて、教室に入ってから気づくような、へまばかりしていた。学校で気づけばまだよい方で、家に帰って気づいた時には、もう日が暮れて...【続きを読む】
七桁も書かせてはがき舞い戻る
その昔、郵便番号が五桁から七桁になった。自分の過ちはそっちのけで、ぼやいた、ぼやき川柳である。いま、土曜日のラジオで、大西泰世さんが、ぼやき川柳をやっておられるが、大会などの選者の句とはだいぶ違う様である。どちらが良いとか悪いとか、言う気はないが、庶民のぼやきも立派な川柳である。それが証拠に、新聞の...【続きを読む】
潮騒の地図から消えた島がある1994
大東亜戦争中に、地図から消えた島が、広島県にあった。言わずと知れた当時の、豊田郡忠海町(今は竹原市忠海町) 大久野島である。国際条約違反の毒ガスを製造をしていた。その時は男も女も徴用で引っ張られ、毒ガス製造の作業をさせられていた。確かイペリットとか言う薬品の後遺症で苦しんだ人が私の周りに、最近まで、...【続きを読む】
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