学校の教科書は「時代」が変わると仕切り直しになってしまう。しかし現実の歴史は1本のタイムラインで今日までつながっている。江戸時代以降の400年を気温調べてみると、地球の気温は暖かい時期と寒い時期を交互に繰り返しながら、大きなトレンドの中で変動している。ざっくりとした時代ごとの寒暖は、縄文時代は暖かく、弥生時代には寒くなり、平安時代にはまた温暖になり、江戸時代は再び寒くなった。もちろん平安時代にも底冷えのする寒い冬はあったし、江戸時代も猛暑の夏があった。この気候区分は、数百年という長い時間軸で特徴づけたものであり、その前提で、江戸時代は総じて寒かった。近年、東京で雪が積もるのは珍しいが、江戸の錦絵には雪景色の風景が数多く描かれいる。人々の生活に大きな影響を及ぼしたのは、冬よりも夏の気温の低さだった。「江戸三大飢饉」が起きたのは、いずれも例年よりさらに気温が下振れした年。当時は気温を数値データとして記録して将来を予測する術もなかったため、人々は凶作に備えることもできず、異常気象の被害をもろに受けることになってしまった。江戸時代は大小合わせると35回も飢饉に見舞われた。その中でも一番ひどかったのが、天明の大飢饉だ。
●今年は暑い夏との予報だが、冷夏が招いた天明の大飢饉
大飢饉で飢えによって多くの人が亡くなったが、一部の人たちは飢えをしのぐために餓死をした人の人肉を食べていたといわれている。食べるものがなくて極限まで追い込まれると、人間はそういった行動に走ってしまうのかも知れない。八戸領における天明の大飢饉の様子を記録した「天明卯辰簗」に次のような記述が残っている。天明4年にある宿屋に1人の女性が訪ねてきて、次のように言った。「こちらの家で爺さんが亡くなられたと聞いてやってまいりました。どうか片身とも片股なりともお貸しくださいませんでしょうか。うちの爺さんもせいぜいあと2~3日かと思われますので、その節にはすぐにお返しに上がりますので」。つまり、その宿屋で亡くなった爺さんの、片身でも片股でもいいので譲ってほしいということだ。そして、自分の家の爺さんが亡くなったら返しに伺いますという。にわかには信じられないような話だが、実際にそういった話は江戸の町まで伝わって、のちの杉田玄白が「後見草」の中で、この人を食べた話についてリアルに記述している。さらにこの「後見草」の中には、信じられないような記述もある。「橋の下で、死骸を切り裂いて股の肉を籠に入れている人がいるので、何にするのかと聞いたら、これに草木の葉をまぜて犬の肉だと偽って売るのだと答えた」。これはもう狂気としか言いようのない話だが、人間は極限まで追いつめられるとあり得ないような行動をおこしてしまうのかも知れない。弥生時代にも飢饉があったのかも知れない。朝からむごい話題で失礼しました。
温かい時代平成最後6月、初日が誕生日の方、おめでとうございます。6月1日(金)の花は「サツキツツジ」、花言葉は「 協力が得られる」。今日は①2019年卒大学生らに対する企業の採用面接解除②日本郵便がくじ付き暑中見舞い葉書「かもめ~る」発売。私はラジオ体操前に神棚と荒神さまに榊と清水とお灯明を上げて家内安全祈願(1日、15日)。19時30分妙蓮寺客殿で曲題目の稽古。ところで、みんな違ってみんないい川柳。今日はあき みはら氏の句です。
●食卓の向こうで椅子は冷えてゆく あき みはら
(向かい合って座っているのは夫か息子か。理想どうりには行かない家族の葛藤をしっかりと見ている。鋭い洞察の句ですね。)
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