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●昨年から大分県竹田市の山中で、ガラスや鉄の破片が相次いで発見されている。その数、約60点。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」の残骸とみられる。戦況打開への一筋の光として、日本に続々と襲来する米軍機に立ち向かった当時の新鋭機。(西日本新聞)

●発見現場の上空では今から74年前、紫電改に乗った19歳の少年航空兵、粕谷欣三さんが米軍のB29爆撃機に体当たりをしたという逸話が残っており、今回発見されたのはその機体の一部の可能性が高い。粕谷さんの紫電改は当時、どんな戦いを繰り広げたのか。逸話の基となったとみられる目撃者の証言に加え、日米双方の関係資料を探ってみると、伝承とは異なる戦争の実相が浮かび上がってきた。

●1945年5月5日。その日の竹田市上空は晴れ渡っていた。

●撃墜されたB29の機長だったワトキンズ氏(捕虜になった後、帰国)の証言によると、午前8時ごろ、福岡県の飛行場を爆撃。帰路に就こうとしていた頃、エンジンが被弾したという。攻撃したのは紫電改だった。

●旧日本海軍の資料では、紫電改は午前7時26分、長崎県の大村航空基地を飛び立っていた。同8時5分、紫電改は大分と福岡県の久留米間の上空、高度6000メートル付近で10機のB29をとらえると、直ちに攻撃に移った。

●B29は各機に10人ほどの乗組員が搭乗し、近づく敵機に機銃を浴びせる「空の要塞」。八方から弾を飛ばす様は、旧日本軍パイロットの目に「ハリネズミ」のように映ったという。全長は30メートルで、1人乗りの紫電改の3倍以上の大きさ。エースとうたわれたパイロットでも、次々と機銃を撃ち込んでも火を吹かない巨体にてこずった。

●強固な火力と防御力に対抗するため、紫電改に乗り込んだ旧日本海軍の「343航空隊」が採用したのが、「垂直背面攻撃」だった。上空で機体の上下を反転させると、ほぼ垂直に突進し、擦れ違いざまにB29の鼻先にあるコクピットやエンジンに機銃をたたき込む―。高度な飛行技術と精神力が必要な命懸けの戦法だった。

●粕谷さんも343航空隊の一員だった。4機で編隊を組んで飛び、2機ずつに分かれて攻撃をしていた紫電改。この日も2機1組で垂直背面攻撃を敢行した。爆撃を終えて帰投する米軍機を奇襲するのが当時の戦略であり、この日の最初の機銃は気付かれぬうちに撃ち込んだとみられる。

●最期が体当たりではなく、空中分解だったとしても、19歳の若者の戦いが色あせる訳ではない。ただ、勇敢さや美談がもてはやされ、時代の空気に流される中で、埋もれてしまう「真相」がある。そんな危うさを今の時代に伝えている。

●紫電改の落下地点は明確に伝えられてこなかったが、当時の目撃証言を基に、戦争捕虜の調査研究をしている民間団体「POW研究会」(東京)のメンバーや住民らが2018年春から現地を捜索。機体の旋回性能を上げる両翼の「空戦フラップ」の一部で、旧日本海軍のいかりの文様が入った部品や、フロントガラスと思われる親指大のガラス片の塊など約60点が発見された。その一部は現地にある粕谷さんの「鎮魂碑」の前に展示されている。

今日は8月14日(水)。今日がお誕生日の方、おめでとうございます。今日は①サマージャンボ宝くじの抽選(東京都)。②山北町のキャンプ客13人死亡玄倉川事故から20年。私は白根川柳会の学び合いは夏休み。姫ご一行はお立ちとか。拙句「やれやれと立つ子をやれやれと送る」。ところで、みんな違ってみんないい川柳。今日は古谷恭一氏の句です。

●戦争がいくつかっての麦畑    古谷恭一
(みんな違ってみんないい鑑賞それぞれお楽しみ下さい。)

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真相へ黙ったままの鎮魂碑”にコメントをどうぞ

  1. 岡本 恵 on 2019年8月14日 at 12:33 PM :

    茂男さん、こんにちは。
    チビさんたちは二週間程の滞在ですが、あっという間ですね。みんなお腹いっぱいで疲れて眠ってしまいました。この子たちの未来が平和でありますようにと心から祈ります。ゲームなどで「戦う」ことがカッコイイという風潮にはどうも馴染めません。みんなで仲良く優しく。学校でも競争の前にしっかり教えて欲しいです。
    写真を丁寧に見てくださってありがとうございます。来年はもう小学生。ちょっぴり可愛い反抗期のようでもあります。

    • 二宮茂男 on 2019年8月14日 at 1:44 PM :

      恵さん、こんにちは。長いようで短かった2週間でしたね。お孫さんには神戸では体験の出来ない貴重なことばかり。素敵な日々でしたね。また、確かに、ゲームは「戦う」カッコ良さを誇張したものが多いような気がします。しかし、どんなことがあっても戦争だけはノーです。明日は終戦(敗戦)記念日、戦争の悲惨さを子や孫へしっかりと語り継ぎたいと思います。また、年長さんは可愛い盛りで拗ね。今日もありがとうございます。これからまた、墓参のお供をします。この時期にしか会えない人が妙蓮寺の境内でばったりとああいします。

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