途中から相合傘になる花見
若い時の花見は、雨が降っても楽しかった。若いと言っても還暦頃の句である。あれから26年、いまは、二人で夜桜を観に行く事も無くなった。
午後はハーモニカ教室。4/28の、アンサンブルフェステバルは、57組のプログラムが届いた。延べ人数で285人。三原、尾道、福山、庄原、広島と広島円一円から集まってくる...【続きを読む】
することがないからお金でも貯める
貧乏人がやけくそで呟いた内緒話。若い時の句にこんなのがあったが、八十を超えても、進歩のない私。
今日は、尾道川柳同好会。出席は14名。「課題」は「流儀」の互選で、8点取った句は「最後までイチロー流でバット置く」作者は今売出し中の、浜本博子。
事故の後遺症が出るかと思ったが、今日も大丈夫だったので。水...【続きを読む】
小半日待たされて皮膚科泌尿科
皮膚科は命に別状はないが、水虫である。足の爪の水虫でひっつこい。通いだして半年であるが一年は薬を続けないと言われた。泌尿科はいつものことながら、前立腺は標準の3倍。医者はをオペを勧めるが、高齢を理由に、まあいいっかと諦め顔。私も別段生活に支障はないし、排尿も1日/9回くらいで、夜中のトイレも3日/1...【続きを読む】
大難小難車に飛ばされる
午後4時はんごろ、青信号の横断歩道を渡りかけてすぐ、後ろから車に衝突された。一瞬何が起こったかわからなかった。気が付いたら、たくさんの人が私を起こそうとしていた。誰が呼んだのかすぐに救急車に乗せられ脈拍を取られていた。吾に帰ったら、左足のすね坊主と、右足すね坊主の内側と右目尻のが少し痛かった。病院で...【続きを読む】
あいにくの天気お寺の花祭
4/8日は、花祭の事を灌仏会と言って、お祝いの行事を寺では行っている。わが家でも、旦那寺から案内があったので家内を連れて行ってきた。
あいにく小雨で、櫻は散り初めであったが、見ての通り、坂道と石段で家内はやっとのことで、本堂までたどり着いた。
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夕食に食べたサバにも消費税
消費税がまだ3%の頃に作った句である。消費税にまだ慣れないせいもあるが、今も昔も消費税は、貧乏人に負担が重いのは変わらない。
家内は今日で2回目のデイサービス。迎えの車には、疑問を持ちながらも素直に乗ってくれた。今の所、最初に心配したほど困らせたりはしない。
家内を送り出した後、好きなサウナ風呂でく...【続きを読む】
神様をふたり造ってする戦
昔も今も、地球上では始まる戦争には、どちら側にも後ろに神様がいる。御霊は靖国にしかいないと、天皇の慰霊の旅を認めないグループもいる。もともと日本では八百万の神と言って、神様同士仲が良かったはずなのに、マネーと言う新しい神様が加わってからおかしくなったようだ。
GG。今日は4月例会私は、20.18.2...【続きを読む】
鶯はまだケキョケキョと浅い春
この句は26年近くも前の2月15日の句である。今年の初鳴きはもう大分前であったが、最近はうぐいすの声をあまり聞かなくなった。1日前の14日は44回目の、神明祭協賛並びに篠原北斗遺句集発刊記念川柳大会であったが、全没で夜も眠れなかったと、日記の冒頭に書いてある。
当分楽しませてくれた我...【続きを読む】
妻病んでやっと叶えたダイヤ婚
昭和34年4月10日二人は結婚した。あれから60年、今日ダイヤ婚を迎えた。1級下の彼女の卒業を待って、私26歳、彼女20歳で式を挙げた。貧乏だった2人は、式場は国語の教師であった神主さんに頼んで、酒1升持って行って式を挙げてもらった。勿論、仲人など気の利いたものは無く、私の親代わりは...【続きを読む】
初鳴きの雲雀に佳句をせかされる
よほど佳句に飢えていたのだろうか、こんな句があった。家の裏の法面を草刈りしていたら、雲雀の巣をひっかけてしまった。卵があったらしいが、草刈り機でひっかけたので、つぶれた卵の残骸があっただけで、雲雀はもう帰ってはこなかった。
2週間ほど前にスマホに替えたので、店舗併設の教室に行って見たが、向こうのマニ...【続きを読む】
仕舞い風呂もうひとくべを言いそびれ
30年も前には我が家も、槇で風呂を沸かしていた。句中の「ひとくべ」は、今でいう追い炊きの事。家内がしゅうとめの母に言いそびれて、寒い寒いと言って風呂から上がってきたのが、昨日のように思い出される。こうなると句の良しあしではなく、懐かしさの方が先に立って、楽しいものである。
GGは19.23.20.2...【続きを読む】
金竹小この煙突が邪魔になる
金竹小はもともと、此畜生と書くらしい。それをあえて金竹小と書い作った川柳が昔の句帳から見つけた。駄句ではあって面白い発見があるもので、いま、古い句帳を読み返している。
今日は県会議員の選挙。家内も行くと言うので、一緒に行く。上手く投票ができるかと心配であったが、前から支持していた人に入れたと、出た来...【続きを読む】
生きて欲し一つ残った乳を吸う
この句は私が60歳、妻が54歳の時の句である。家内は53歳の時、乳がんで左の乳房を切除したが、良くなって、退院した時の胸は、見るに堪えない残酷なものであった。今では乳房の全摘出はないようであるが、当時は全摘の技術も進んでいなかったせいか、傷跡は今でも見るに堪えない。それでも幸いなことに、30年経った...【続きを読む】
原爆に耐えた湯垢の南部鉄
この時の私が今も残っているようだ。被爆鉄瓶の中の湯垢がまだ残っていたのを見せてもらったことがある。原爆の、光も音もきのこ雲までライブで見たものにとっては、なんとしても核廃絶の側に立つ。
総理も副総理も忖度できないので、私が忖度をして、下関市と北九州市をつなぐ道路を作ることを決定したと、とんでもないこ...【続きを読む】
廃品を集めてみればみな漫画
随分前の句である。息子や娘が巣立った後、子供部屋をかたづけてみれば漫画本ばかり。あのころは私も若かった。今句帳を開いてみれば、懐かしい思い出をしみじみ思い出させてくれる。もう一番上の子は、55歳になる。
ほとんど毎日のように、昼には行く近所のお好み屋の、くんし蘭が、きれいに開いた。上手...【続きを読む】
お節よし大掃除よし除夜の鐘
現役の時には、朝礼の最後に、「足元よし。ヘルメットよし。ご安全に」で仕事を始めたものである。そんな癖が抜けず、冒頭のような575を作っていた。こんな拙い句の方が振り返って読んで盛ると懐かしいものである。
川柳奉行の句会場の近くに、三原城の舟入櫓後の石垣が残っている。そば...【続きを読む】
てにをはの壁に正座の時は過ぎ
20年の前には座り机で、苦吟をしていたころの句であるが、今でも助詞の一字に苦しむことはしょっちゅうである。
昨日より一日遅れではあるが、新元号「令和」は、朝刊の一面を飾っていた。速報性は手テレビには負けるが、私ども、昭和にんげんは、新聞の記事の方が何となく落ち着いて知るこ...【続きを読む】
何はともあれ、新元号は「令和」
新元号は、平成の小渕さんにならって、菅官房長官が「令和」の額を掲げた。男一代の晴れ姿である。典拠は万葉集からと言うが、私が一番に感じたのは、字ずらの悪さ。今の平成に比べて、いかのにもせせこましい。それと、ラ行で始まる言葉は、高齢者には、発音しにくい。などケチをつけたわけではないが、私が感じた、第一印...【続きを読む】
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