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芋とは勿論サツマイモのこと。米がないので来る日も来る日も、食べるものと言えば、サツマイモであった。鉄の羽釜で炊いた、サツマイモは、底に飴のようなものがくっつき、特に冷えた釜の底の芋を好んで食べていた。私の記憶では、戦時中より戦後の方が、食糧難はひどく、そのサツマイモさえ、十分になかった。立派な和服や、高価な調度品が、芋や麦にかえて、飢えをしのいだのは、たった70年くらい前の話である。

今日は、ハーモニカの教室の日であったが、先週に続いて、先生の身内の方が亡くなられて、続けて2回目のお休み。10年くらい教室に通っているが、こんなことはなかった。そうは言っても、先生が50歳になられたので、とり巻きは、それなりに後期高齢者になられたのかもしれない。

5月の柳誌が届いたので、徒歩で配達して歩数を稼いでおいた。

晩は残りご飯で、具だくさんの雑炊を作って済ませた。家内も茶碗一杯残さず食べてくれたので一安心。最近は、食が細くなったのか、完食が少なくなり、全体の40%くらい残すので、私が残り物を食べる羽目になり、頭を痛めている。

プールは40分、1000m泳いで帰る。万歩計は9.653



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