●ラグビーワールドカップ(W杯):日本30-10ロシア>◇1次リーグA組◇20日 ◇味の素スタジアム(日刊スポーツ)
●2大会連続で主将を務めるフランカーのリーチ・マイケル(30=東芝)が独特の雰囲気に包まれた開幕戦で、チームを勝利に導いた。強烈なタックル、ボール争奪戦での落ち着いたプレーで8強入りを目指すチームをけん引した。来日して15年。「日本で育った」と語る大黒柱が、3度目のW杯で、桜のジャージーへの思いをプレーに込める。
●君が代を歌い終えたリーチは、静かに目を閉じた。超満員のスタジアム。キックオフを待つファンの鼓動が足もとから伝わった。迷いはない。取りこぼしの許されない初戦で、桜のジャージーの誇りをプレーに込めた。ボーナスポイントを含め、理想的な勝ち点5を獲得。「ファンの声援で勢いがつけられた」。試合後のピッチで真っ先にロシア選手と握手を交わすと、長かったこの4年間の記憶が頭をよぎった。
●日本ラグビーを世界に認めさせた15年大会。だが、主役の座をつかんだ26歳の絶頂は長くは続かなかった。トップリーグ、スーパーラグビーと休む間もなく続く日程。「疲れ切った」。張り詰め続けた心と体は限界を超えていた。プレーは精彩を欠き、練習でもすぐに集中力が切れた。5歳で始め、自らの人生を切り開いてきたラグビーに、初めてやりがいを失った。
●16年6月、W杯後最初のテストマッチを右手の骨折で辞退。「気持ちが前を向かない」状態の中、同年9月にジョセフ体制が発足。19年W杯へ向けた新生日本代表が動きだした。スーパーラグビーの強豪チーフスでレギュラーを張るリーチの合流を、新HCも当然のように求めた。2人だけの会談で代表入りの意思を問われた。返答次第で、その後の立場が危うくなる可能性は分かっていた。それでも、リーチが出した答えは「NO」だった。いったん席を外すと、戻った場所に、指揮官の姿はなかった。
●「焼き肉と同じ。おいしいけど、腹いっぱいになったらそれ以上は食べられない」。だが、19年W杯、代表への思いが完全に消えることはなかった。「あのジャージーを着て中途半端なプレーできない」。それも本音だった。日本代表。その存在がリーチの中で特別なものに変わったのは、16歳の時の苦い記憶だった。
●15歳の来日から1年がたった05年6月。留学先の札幌山の手高の電話が鳴った。声の主は、遠く離れたニュージーランドにいる祖父だった。「火事で家が燃えた」。目の前が真っ暗になった。線路沿いに立つ平屋の一軒家。豊かな家ではなかった。ボロボロの靴を履き、いじめを受けたこともあった。だが、生まれてから15年間を過ごしたその空間には、いつも家族の愛があった。中学生のころ、ゴミ捨て場から拾ってきたガラス窓を父コリンさんと2人でカットし、部屋に取り付けた。壁に張った憧れの名選手ウォルター・リトル、ジョナ・ロムーのポスター。思い出の手紙や写真を入れるため、押し入れのカーペットを切り取ってつくった「秘密の穴」…。すべてがなくなった。
●留学先の佐藤幹生監督からは「帰ってこい」と帰国をすすめられた。だが、家族全員の無事が確認できると、それで十分と首を振った。「もう戻る場所はなくなった。自分のものも全部消えた。残ったのは、今、日本にあるものだけ」。前を向こうとするリーチを支えたのは、現在も父のように慕う佐藤監督だった。リーチには内緒で、学校関係者、保護者らに募金を呼びかけ、わずか4日間で約70万円を集めた。その事実を、リーチは母から聞かされた。胸が熱くなった。
●「日本に来てたった1年の自分に、なぜここまでしてくれるのか。自分にはラグビーでしか恩返しができない。日本と仲間のためだったら何でもやる」
●進学した東海大2年時に初キャップを獲得。13年に日本国籍を取得すると、11、15年のW杯に出場した。「76キロの弱かった自分を強くしてくれたのが日本。僕は日本で育ったラグビー選手。だから、日本代表を強くして、恩返ししたい」。その信念が桜のジャージーを背負う原動力だった。
●16年11月、代表を辞退したリーチは、所属する東芝の合宿地、鹿児島にあるスポーツバーにいた。テレビには欧州遠征でテストマッチを行う日本代表が映っていた。けが以外の理由で初めて代表の試合を外から見た。堀江、田中、立川ら、ともに戦い続けてきた仲間が体を張る姿に、心がざわついた。「戻りたい」。15年W杯から約1年。リーチ自身が待ち望んだ感覚だった。指揮官に頭を下げ、素直に思いを伝えた。17年6月、日本代表に復帰。15年W杯から止まっていた時計の針が、再び動き始めた。
●勝負の2019年。W杯開幕を半年後に控えた3月に、ふともらした。ふれたのは、代表から外れていた立川、右足首の手術で戦線離脱していた堀江のことだった。「自分が代表を断った時、堀江さんとハル(立川)がジャパンを支えた。あの時無理をした影響が、今出ているのかもしれない。僕はセルフィッシュ(自己中心的)な選択をした。だから、どんなにきつくても、疲れたとは言わない」。3度目のW杯へ、それがリーチの覚悟だった。
●大切にする言葉は「神に誓うな、己に誓え」。自分の心と向き合い続けた先に、自国開催のW杯の歴史的1勝が待っていた。4年前とチームが置かれた立場は違う。史上初の8強へ、歩みは止めない。試合後にはチームメートに「来週はこの緊張を抜いて、良い準備をしよう」と呼びかけた。次戦は世界ランキング1位のアイルランド。日本代表の中心には、今大会もリーチがいる。
●ラクビーのルールは比較的簡単です。この際に覚えるとテレビ観戦が楽しめますよ。W杯を楽しみましょう。
●リーチ・マイケル 1988年10月7日、ニュージーランド・クライストチャーチ生まれ。札幌山の手高への留学で来日し、東海大を経て東芝。08年11月米国戦で日本代表デビューし、W杯は11年から3大会連続出場。13年に日本国籍を取得し、15年W杯は主将を務めた。家族は知美夫人(31)と長女アミリア真依ちゃん(5)。190センチ、110キロ。
今日は9月22日(日)。今日がお誕生日の方、おめでとうございます。今日は①三菱UFJ銀行と三井住友銀行が店舗外現金自動預払機(ATM)共同利用開始。②国際ビーチクリーンアップデーアメリカ・サンフランシスコに本部のある海洋自然保護センターが1985年から実施。この日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、その数量・種類等を調べることによって、海洋のゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。私らは墓参客のおもてなし。定番はおはぎ、けんちん汁、から揚げ。私の担当はゴマおはぎとから揚げ。ところで、横浜詩人会の重鎮・詩人 大石規子氏から詩誌「セントラー座」、Ⅶ号を拝受。横浜文芸懇話会の幹事仲間でした。
●詩「家族」 大石規子
ふわっと
背後に 人の影
振り返っても 誰もいない
けれど いたのだ
母だ
わたしを 宥めに来たらしい
この間も
感じた 誰かいる
今度は 父だ
わたしを 戒めに来たのだ
兄も
ほたるになって 来た
みんな
この世にいないけれど
こうして
近くに寄ってくる 家族
いちばん 幸せだった
昭和15年ごろに 集まって来る
戦争が始まる前
戦災で 家が焼失する前の
●川柳17句 二宮茂男
朝飯がうまい日もまた老いていく
嘘つかぬけれど本音は腹の底
老いひとり正座で語り継ぐ昭和
カネのないケチな親子の浪費癖
距離あけて助け合ってる犬と猿
激流に逆らい丸い石にされ
子どもには父の宝がゴミに見え
自分史の中で渦巻くつむじ風
重箱の隅で妻子と待ち合わせ
捨てられぬゴミに埋まった粗大ゴミ
ないものがない世に夢のない子ども
値引くなら少し買いたい国有地
覗いてはならない窓が半開き
バイブルに我が青春の酒の染み
ひそひそと子がゆずり合う父介護
振り向けば君も見ていた分かれ道
吠えなけりゃ風格のあるうちのポチ
(この春、大石規子氏から原稿依頼を受けました)
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茂男さん、おはようございます。
リーチ選手の覚悟を感じます。神に誓うな、己に誓え。ズシリとくる言葉ですね。次もいい試合を見せてくれそうな気がします。ブレイブ・ブロッサムズも光ってます。鍛え上げた選手たちの試合は見ていても気持ちがいいですね。ルールは簡単だということですから、これを機会に覚えてみましょう。あの、試合前のハカは大好き。本場ニュージーランドのみなさんの踊りを楽しみにしています。
今日もいい日になりますように!
恵さん、おはようございます。リーチ選手の「神に誓うな、己に誓え」、自分の積み上げたものを信じて疑わない。たのもしいですね。頼りになりますね。ベスト8への道を一歩一歩と進んでほしいものです。ブレイブ・ブロッサムズもキラキラしてますね。今、姫ご一行が新米のモチ米を持って到着しました。一気に忙しくなります。今日もありがとうございます。ご先祖さまを偲んで有意義な彼岸の日々になりますように。