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太平洋戦争中に戦闘機操縦士や特攻隊員の訓練を重ね、九死に一生を得て終戦を迎えた伊原昭さん(90)=兵庫県明石市大久保町西島=が26日、江井島小学校コミュニティ・センターで戦争体験を語った。小中学生を含む65人が、当時の過酷な実態に耳を傾けた。江井島まちづくり協議会と同地区人権教育研究協議会が、平和の大切さを次代に伝えようと今年初めて開催した。

●豊岡市出身の伊原さんは、旧制豊岡中(現豊岡高)生だった1943年、戦意が高揚した同級生らの雰囲気にのまれる形で飛行予科練に入隊した。松山や台湾での訓練中は、上官からの精神主義的な体罰が横行。国のため命を惜しまないと思うようになり「教育は怖い」と振り返った。

●台湾での航空戦では、毎朝戦闘機の出撃を見送っていたものの1機も帰って来ず、撃墜されて目を背けるようなむごたらしい姿になった搭乗員を何人も見た。「戦闘機は全く補充されず、全てを失った無駄な戦いだった」

●沖縄戦に備え九州に移り、さらに茨城県へ移った45年、B29に特攻するロケット戦闘機「秋水」が開発されたと聞き、自分を含む全員が搭乗員を志願した。「負け戦が勝ち戦に変わるかもしれない。痛みもなく、一瞬で死ねるのは幸せと思った」。しかし、実戦機が配備されなかったため参加できず、逆に爆撃で一度に20人の仲間を失ったこともあったという。

●伊原さんは搭乗員として一度も出撃することなく北海道で終戦を迎え、予科練の同期生は千人以上亡くなった。講演の最後に伊原さんは中国や東南アジア各国の戦死者数を挙げ、「日本は戦争で受けた被害のことをよく言うが、与えた被害も知っておく必要がある」と締めくくった。

聴講した江井島中2年の女子生徒(13)=大久保町江井島=は「中学生なのに特攻隊に志願するのは考えられない。戦争は怖い」と話した。私も戦争はこりごりです。

今日は8月16日(木)。月遅れ盆送り火。今日がお誕生日の方、おめでとうございます。今日は①7月の貿易統計(財務省)。②全米100紙以上が今朝の社説で一斉にトランプと対決。私は10時30分で南希望が丘ケアプラザで「サロン故郷」の川柳会の学び合い。ところで、島田駱舟氏から印象吟句会「銀河」8月号を拝受。駱舟氏曰く「作句の心掛けで先輩たちによく言われたことの一つに、『第一発想は捨てろ』があります(略)なぜ第一発想を?理由は簡単です。『誰でも考えるから、つまり他の人との同想を避けるためです。早い話が、入選するための手段と言ってもよいでしょう。さらに『二番目、三番目も捨てた方がいい』とアドバイスする方もいます。こうなると苦行としかズボラな私には思えません(略)会社員時代に『楽しく仕事をする』に徹しました。その私には苦行は向きません。せっかく浮かんだ発想を自分流に楽しみながら詠むにはどうしたらよいか、ということを考えていました。もし、苦行していたら川柳界には居ないでしょう」と。誰もが考えていたこと、含蓄がありますね。説得力がありますね。

●駱舟氏の句
建前の議論言葉がよく滑り
ぎこちない会話国境線へ積む
一頭と数える蝶にある威厳
主張ころころ長生きをしています

●茂男は全没でした。また、頑張ります。

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  1. 岡本 恵 on 2018年8月16日 at 2:35 PM :

    茂男さん、こんにちは。
    Kくんのスポーツ報知への写真付き記事の掲載おめでとうございます。WEBでは検索できませんでしたが、どんなニュースだったのでしょう。本人の努力はもちろんのこと、ずっとサポートして応援してこられたみなさまにとっても嬉しい夏ですね。見ている人はちゃんと見ている!これからも手応えのある毎日でありますように。
    戦争をしたくて始める人はいないと思うのですが、流れの中で引くに引けない状況ということになってしまうのでしょうか。悲惨な現場での現実も貧しい中で希望を持って生き抜いてこられた方々のことも、できる限り伝えないと‥‥。今の日本の平和に甘えてしまってはいけないのでしょうね。

    • 二宮 茂男 on 2018年8月16日 at 4:47 PM :

      恵さん、こんにちは。報知の記事は20面の囲み記事。見出しは、「横浜保土ケ谷7回2死から同点、延長8回5点」と。小見出しは「昨年の王者の執念」。昨年の覇者が初戦でまけるわけにはいかなかった。横浜保土ケ谷は0-1で迎えた7回2死二塁。2番・二宮がとらえた打球がセンター前に・・・と。守備はいいが打撃が弱いと監督さんに言われ、この冬は玄関先の駐車場でバトミントンのコックを使っての打ち込み特訓、まだ薄暗い凍えるような寒さの中でも続けました。その努力が実ってのことでしたので、バカ爺は嬉しいのです。このことがやがて実社会に出たときにどこかで生きるといいと考えます。また、戦争のこと。9歳でただ一人の働き手の父を戦場に取られ、担任の今村先生から「敗戦色濃いこの時期に外地へ行くお父さんは生きて還ると思うな。あなたは長男なのだからお母さんを助けなさい」と諭され3キロの下校路を泣き泣き走り続けました。伊原さんの言葉にもあるように怖いのは「教育」、全ての国民学校(現小学校)に軍刀を腰にした将校が配属され戦意が高揚し臨戦態勢に追い込まれお国のために死ぬのは怖くない。国内戦で敵の戦車へ飛び込んで「天皇陛下バンザイ」と進行を止めるために死ぬんだと思うようになることです。家に妻と幼い5人の子を残した戦場の父も上官からの精神主義的な体罰で国のため命を惜しまないと考えるようになったとか。「教育は怖い」ですよ。少しはしのぎやすくなりましたか。このまま彼岸とは行かないでしょうね。お元気で。今日もありがとうございます。

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