今日がお誕生日の方、おめでとうございます。8月15日(火)の花は「ヒオウギ」、花言葉は「 誠意」。葉の並び方が「檜扇」という扇子みたいなもの(ヒノキの薄い板をとじあわせた扇)に似ているところから「桧扇」とも書く。今日は①全国戦没者追悼式(日本武道館)。正午に1分間の黙とう②韓国で日本からの開放記念日「光復節」(ソウル)③JR各社上り混雑ピーク。私は22時頃に送り火でご先祖さまを見送ります。
ところで、1945年のこの日、日本は連合軍に無条件降伏した。日中事変以来の損害、戦死者約233万、戦災死者約70万、家屋298万戸、以下はある未亡人の手記。私は極度の栄養失調、リューマチ熱、心臓弁膜症で学校医から20歳まで生きられないと言われながら傘寿坂です。
8月の15日、とうとう神風は吹かなかった。前線の兵隊さんはどうしていることだろう。痛歎の余り自決、ああそんなことはない、私たちを、可愛い子供を残して死ぬものか。きっと帰ってくる、私もとうとう子どもを守り通した、もう爆弾で殺されることはない、戦争ー何と空々しい静けさであろう、ただ、唖然として、夫が帰ってきたら・・、とそればかりを思う。しかし天は私たちに前以上の試練を下されたのでした。終戦と同時に軍隊の消滅、物価の暴騰、僅かばかりの貯金の封鎖、帰還の日の一日も早からんことを祈りつつ、夜ふけてコツコツと聞こえてくる靴の音に今度はと何度胸を躍らせたことでしょう。いとし子と耐えてゆかむ)。私は亡き母の文と読みます。我が家では、何時ものように、お客さんと一緒に、朝は「すいとん」をいただき戦後の混乱期を偲びます。
ところで、昭和20(1945)年の5句。
大空襲火叩きを笑う焼く野原 薫
機を送れその兵の声ひしと立つ 三太郎
日の丸に背く日の丸振った過去 吾 郎
配給のもので作ったお裾分け 香 風
ジグザグにこころを縫った敗戦日 茂 男
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おはようございます。
国民学校5年、8月15日、夏休み。正午、私は近所の古いラジオの前に正座していた。大本営の声とは違う音調。よく聞き取れなかった。誰かが急に嗚咽した。続くように皆大声で泣いた。意味が分かって私も号泣した。応召の父はどうなるのだろう。間もなく襲う飢餓の時代を予測もできないで、ただひたすら父のことを心配した。母と5人の弟妹をどうするか。すぐに家に飛んで帰り手製の竹槍を握りしめた。
帰郷の孫は今日は年金の日だとしてなにか期待している気配。
竹槍はどこにいったか平和ボケ
千四さん おはようございます。国民学校5年生でしたか。72年前の8月15日、暑い日でしたね。私も、正午、古いラジオの前に正座して泣きました。魂が抜け去った空蝉のような体、心は虚しかった。確かによく聞き取れなかったですね。また、やはりお父さんは戦地でしたか。また、あの飢餓を思い起こすために食べた今朝の「すいとん」は美味し過ぎました。お母さんは30歳前後5人の弟妹さんでしたか。家に飛んで帰り手製の竹槍を握りしめたのですか。しっかり者のご長男、忘れられないひとこまですね。ところで、お孫さんご一行のご来訪ですか。お楽しみ下さい。「竹槍はどこにいったか平和ボケ」、びんびんと響き合います。有難うございます。お孫さんとの一日、いいことがありますように。
茂男さん、こんにちは。
今日は涙雨でしょうか。立派な追悼式をテレビで見ました。失ったものは戻ってこないと思うと辛いですね。大切な人や時間を一方的に奪ったのは誰なのでしょう。平和だけは守らないといけない。一人一人が肝に銘じていきたいですね。
お身体を大切に益々健やかな毎日でありますように。
恵さん こんにちは。今日の雨、こちらは少々強く降っています。立派な追悼式に総理の立派なお言葉。文字通り有り難くいただいていいのでしょうね。総理の腹が言葉と違ったらまた戦争になります。「何があっても平和だけは守らないといけない」、お一人お一人が肝に銘じていただきたい。今日も有難うございます。めぐみの雨と楽しくお過ごし下さい。