小津安二郎監督の「東京物語」や今井正監督の「青い山脈」に出演し、日本映画の黄金時代を支えた伝説の大女優、原節子さんが9月5日に肺炎のため、亡くなっていたことが25日、分かった。95歳。横浜市出身。生涯独身を通し、日本人離れしたたぐいまれな美貌で『永遠の処女』『日本のグレタ・ガルボ』と呼ばれた。1963年、小津監督の葬儀以降、表舞台には一切立っていなかった。亡くなったことは、故人の意向を尊重し、伏せられていたとか。横浜が生んだ国民的な女優でした。ご冥福をお祈り致します。
今日がお誕生日の方、おめでとうございます。11月26日(木)の花は「サフラン」、花言葉は「愛への誘い」。秋咲きクロッカス。今日は①韓国の朴大統領の名誉毀損事件で前産経新聞ソウル支局長の判決(ソウル)は延期。私は、10時にライトセンター、15時、かながわ県民センターで、読売県版選者S、T氏と打ち合わせ。17時、場所を変えて二人だけの忘年会。ところで、横浜文芸懇話会の元幹事・西村富枝氏から、詩誌「アル(特集「怒」)」を拝受。富枝氏の詩。
終わりの季節
勢いを失いかけた緑の中に
桃色がかった虹色を見せているのは
さるすべり
どこにも見かけるこの時期
夏の終わりを告げるのを
漫然と眺めてひねもす
この花の咲くのをあと何回見られるのか
喜寿を迎えられるまで
生きられるというべきか
生きてしまったというべきか
あれは息子一家とした旅の時だった
韓国のガイドさんが
大木の白い花を指さして
「白くても百日紅(さるすべり)」
と、笑顔で熬ったとや
幹がすべすべだったからこの名がついたと
父が言ったことなど
切れ切れに浮かんできて
曇って風のないこんな日は
亡き父への距離が近づき
あの世の人たちや昔のことばかり鮮明だ
人はひとりでは生きていけないなんて
あれは嘘だよ
だって何年も生きてしまったもの
だから
そういう私を貫いているうちに
この世にグッドバイしたいものだ
もう一度会いたいという思から
もうすぐ会えるに変わる
この穏やかさ
憎しみも恨みも焦りさえも
さっぱりとね
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茂男さん、こんにちは。
原節子さんは横浜のご出身でしたか。美し過ぎるのも罪なことですね。人間は見た目じゃないと思いますが、第一印象というのも大事ですし‥‥難しい問題です。女優としての姿をスクリーンに残せるのは幸せですね。茂男さんもファンでしたか?表題の一句が楽しいですね。
富枝さんの詩は凛とした美しさ。サルスベリを前にすると詩人の言葉はこんな風に作品になるんですね。詩を愛する人たちの詩誌も、たくさんの人に読んでほしいですね。
茂男さんが帰り道に寒い思いをしませんように。今日は楽しい時間をお過ごしくださいね。
恵さん、おはようございます。原節子さんは横浜の保土ヶ谷区のご出身、拙宅から近いところです。晩年は、鎌倉の寺に身を寄せられて静かな日々だったと聞いております。私も、大ファンでした。富枝さんは横浜詩人会の重鎮で凛とした方で、詩も凛としています。横浜文芸懇話会のお陰様でいろいろな方とのご縁をいただきます。ありがとうございます。遅くなって、ゴメンナサイ。
こんばんは。
原節子、私の幼春のアイドル。大正9年申年の生まれ。せめて来年まで頑張ってほしかった。
節子さんちょっと待ってとサルスベリ
千四さん おはようございます。原節子さんは、幼春のアイドルでしたか。彼女の高校は、横浜学園、我々は「ノー・シャン」と言っていました。ノー・シャンの学校にも稀に、とびきりな「シャン」がいたのですね。「節子さんちょっと待ってとサルスベリ」、秋が深まります。私は、古いノート・パソコンと苦闘しています。こんな時間になりました。お許し下さい。