川柳奉行新年句会
毎年恒例の新年会を兼ねた句会が、楽しく行われた。出席は18名で去年より5人少なかった。御多分にもれず、奉行にも高齢化波が押し寄せている欠席の大半は、本人か配偶者が何らかの疾病で、入院か家で療養中だと聞いている。出席者の中にも、88を筆頭に87・86・85と4.5人いる。
私もその中の一人であるが、今...【続きを読む】
逆縁を風が知らせる原爆忌 川柳擬より
八月六日の朝、多くの、学徒動員が、勤労奉仕に狩り出された。そして、中学校や女学校の生徒が死んだ。わが子探す親の姿は広島の街では何か月も続いた。運動場に穴を掘って投げ込まれ、石油をかけておびただしい人を焼く光景もあちこちで見られた。学生服に縫い付けられた名札が運よく見つかっても、骨とは一致しない。それ...【続きを読む】
惜春鳥追えば十九の海が見え(川柳擬より)
惜春鳥という映画は、1959年(昭和34年)に公開された、監督、木下恵介音楽、木下忠司の兄弟コンビで話題をさらった映画である。私が26歳結婚した年である。あのころは、「十代の性典」に代表されるような、青春物が、大映を中心に、流行っていた時代である。テレビは勿論なく、逢引きと言えば、映画館か、ダンスホ...【続きを読む】
夏だけの平和が右往左往する
22年ほど前の句である。その頃はまだ8月くらいには戦争について考えたものである。今は憲法改正、特に9条の改正が総理の頭の中では、秒読みが始まっている。国民投票も考えているらしいが、ここへきて、2月には沖縄の住民投票が現実味を帯びてきた。その結果には、拘束力がないなどと、無視する構えである。国民投票と...【続きを読む】
とうがらし熟れて静かな退職日
あの日からも16年経った。つまり、この16日で八十六歳になる。今日もまだ万歩家計は、1万歩を超えた。たましまの大会の作句も出来た。森鴎外の渋江抽齋もノルマだけは読むことが出来た。誌上大会への投句も、今年に入って、今日までに2社ほど済ませ、近郊の大会へはまだ行けそうであるが、全没が多くなるのは、いたし...【続きを読む】
食事会娘夫婦のサプライズ
我が家は正月2日に食事会をすることになっている。家内は2019.1.1が誕生日なので、家内の為のバースデイケーキで祝ってくれた、サプライズで食事会が大いに盛り上がった。家内曰く、私は昭和14年1月1日の誕生日で、戦争中の事でもあり、誕生日にあらたまって祝ってもらったことがなと、元旦...【続きを読む】
おみくじは、大吉と末吉
家内が足が痛いと言うので歩いて5分の宇佐八幡へ、車で初詣に行ったら、渋滞に巻き込まれて、30分ほど待たされた。おみくじは、家内が大吉で、私が末吉。足して2で割れば、中吉でバンバンザイだが、おみくじはそうはいかないらしい。家内の物忘れは、今年は小康状態で納まってくれればと願うのみである。私の末吉は、今...【続きを読む】
明けましておめでとうございます。
今年も毎日恥をさらしながら、ブログを続けることが出来ました。長男は盆に親子4人で東京から帰ったので、正月は帰らないとのこと、、長女は大阪八尾から元旦の夕方帰ってくるとメールあり、次女は市内に住んでいるが2日の夕方孫を連れて、お年玉をもらいに来るらしい。じいとばあにはどっちみち用はないらしい。
年越し...【続きを読む】
抽象の馬が方向見失う 2002
抽象の馬とは私自身。当時定年を1年残した69歳である。迷いに迷って川柳奉行の立ち上げを決断した年でもある。苦しみの中で出来たのがこの句である。方向を見失いそうになった時助けてくれたのが、隣組の投句を続けてくれた柳友である。その中にはもう鬼籍に入られたかたが、数名いるが、今でも残って、奉行を支えてくれ...【続きを読む】
島中がシャネルの5番みかん咲く
島育ちの私は、5月に咲くみかんの花の香りが、シャネルの5番と思ったには、島を出て、会社勤めをしてからだった。島で育っていたころは、ミカンの花が咲くころ、身近に決まって喘息になる人がいたし、空襲警報で明け暮れていたので、香りを楽しむ余裕はなかった。17歳で会社勤めをし、女に囲まれた職場で、色気付き出し...【続きを読む】
湯加減を問うて娘に叱られる 1998
こんな若い日が、私にもあったが、今では、二人とも老いぼれて、家内は足が痛いと言い出すし、私も、膝にヒアルロン酸を、2週間に1回、注射する始末。
今年も28日、忘年会も済み、プールも昨日すみ、GGも今日終わった。お好み屋だけは明日まで営業。あとは、ちょっとした掃除と、30日に買い物をすれば、今年の行事...【続きを読む】
体育の時間にメガネ置き忘れ
私は小学校2年生からメガネをかけていた。体育の時間には、運動場の片隅にメガネを置いて、駆けっこや、鉄棒をしていた。その頃はまだメガネに慣れていなかったので、メガネをかけるのを忘れて、教室に入ってから気づくような、へまばかりしていた。学校で気づけばまだよい方で、家に帰って気づいた時には、もう日が暮れて...【続きを読む】
七桁も書かせてはがき舞い戻る
その昔、郵便番号が五桁から七桁になった。自分の過ちはそっちのけで、ぼやいた、ぼやき川柳である。いま、土曜日のラジオで、大西泰世さんが、ぼやき川柳をやっておられるが、大会などの選者の句とはだいぶ違う様である。どちらが良いとか悪いとか、言う気はないが、庶民のぼやきも立派な川柳である。それが証拠に、新聞の...【続きを読む】
潮騒の地図から消えた島がある1994
大東亜戦争中に、地図から消えた島が、広島県にあった。言わずと知れた当時の、豊田郡忠海町(今は竹原市忠海町) 大久野島である。国際条約違反の毒ガスを製造をしていた。その時は男も女も徴用で引っ張られ、毒ガス製造の作業をさせられていた。確かイペリットとか言う薬品の後遺症で苦しんだ人が私の周りに、最近まで、...【続きを読む】
しめ縄の絆ビールも日本酒も
地域の老人会が長年続けていろものの一つに、しめ縄作りがある。地域に、二十数か所ある祠の、掃除と、新年を迎えるに当たり、新しいしめ縄を取り付けて、新年を迎えるのである。その縁で、忘年会という、般若湯と言うお神酒を頂く会がある。しめ縄作る人がだんだん減って、この会もいつまで続くかわからな...【続きを読む】
むつかしい事は云わずにリンゴ描く 1994
この句は1944.6.3号のアサヒグラフの「かたち」の兼題で、新子座に掲載された句である。「そうね、それがいい。リンゴの形はストレート。幼児がクレヨンで描く最初の花がチューリップ、果物はリンゴ。人間はおかあさん。あの原点へ帰ることだ。一日も早く。」とは新子さんの選評。ちなみに、このころの新子座では、...【続きを読む】
一輪の梅にためらう花ばさみ(1994)
私が俳句に出会ったのは15歳の時であった。15歳で、今のJAの前身である、農業会月給500円で就職したときの上司が、元陸軍伍長のバリバリで、北支、中支の戦場を駆け巡ってきたつわものであった。その人が酒を飲んだら「♪春まだ浅き戦線に/ほんのり香る梅の花/せめて一輪母上に/便りに秘めて送ろうじゃないか」...【続きを読む】
鉄を知ってから不しあわせが続く
にんげんの歴史の中で、鉄を発見してからずいぶんと便利になったように思う。それと同時に、大量殺りくの兵器を作って、戦争は拡大の一途をたどってきた。その頃は、人間は賢い生き物だと思っていたが、どうもそうではないらしい。国家予算も100兆を超え、後世に、借金を残す予算は去年と変わりがない、兵器購入は予算も...【続きを読む】
Loading...





































