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地域の老人会が長年続けていろものの一つに、しめ縄作りがある。地域に、二十数か所ある祠の、掃除と、新年を迎えるに当たり、新しいしめ縄を取り付けて、新年を迎えるのである。その縁で、忘年会という、般若湯と言うお神酒を頂く会がある。しめ縄作る人がだんだん減って、この会もいつまで続くかわからないが、今年も無事終えることが出来た。仕事は手順よく、しめ縄を作る人と、そのしめ縄のヒゲを鋏で切る人、御幣の紙を切る人、出来た御幣を縄に取り付ける人、それを祠まで、運ぶ人、取り付ける人と、どこかの会社の生産ライン顔負けの出来栄えである。

忘年会は、雰囲気がよかったので少し飲み過ぎたようだ。ママは先に帰ったが、知り合いに頼んでいたので、ひとまず安心。あとはカラオケ大会。みんな好きなようである。カラオケの調子はずれが憎めなの句を以前作ったことがあるが、最近は下手な人を探すのが、難しいくらい、上手な人が多い。

少し酔っぱらって帰って寝ていら、家内が、片付かないから、起きて、ご飯を食べなさいと催促を受ける。見れば私の手つかずの、折弁当を開いて、お茶を沸かして待っていた。平生の物忘れがウソのようである。風呂も入れてくれたが、飲んで風呂に入ると、何が起こるかわからいので、風呂に入った格好をして、トイレにががんで、いい湯だっと、パジャマに着かえ、早々と床に就いた。万歩計は、そのせいで4.854

 

 

 

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