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私の父は昭和13年に30歳で亡くなった。は母29歳、私は5歳、妹は4歳の年子であった。父はその時兵役満期で、徳山の海軍燃料廠に勤めていた。工場の計らいで、父が勤めていた、工場で働くことが決まったので、子供を幼稚園に入れるむね、本家の姑さん話したら、本家に子が幼稚園に行ってないのに、分家の子を行かす訳にはいかないと、許可が出なかったと言う。仕方なく、二人の子を連れて、母の実家に帰った。それから3年目には大東亜戦争がはじまり、20年には敗戦。わずかばかりの、父親の扶助料や、国債は紙くず同然になり、新円切り替えですってんてんになった母の苦労は大変なものだった。父親の役目もしなくてはならない母は、子供には厳しかった。そんな中、一番でなくてもよいが二番にはなれ。と言う言葉が今も耳から離れない。母が一番になれとなぜ言わなかったのか、今になっては聞くすべもない。

今日はハモニカ教室の後、忘年会。つまり飲み会である。みんな来年も元気でハーモニカの練習ができることを誓い合ってお開き、私は家内の為に寿司弁当を買って帰り、家内と一緒に食べた。今年はもう1回忘年会が残っている。12/24は老人会による、しめ縄を作って町内二十数か所ある社に新しいしめ縄を張って、大掃除を済ませた後、忘年会をやり、年納めになる。今日はプールの日であったがお休み。万歩計は、5.365歩と少な目。

 

 

 

 

 

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