Loading...Loading...

定時制に通っていたのはもう65年も前に話である。入学した時には150人で3クラスであったが、卒業したのは67名。2クラスであった。今ではもう1/4は、鬼籍に入り、住所不明も増えてきた。今でも年賀状のやり取りをしているのが、20名である。住所録を開くたびに、輝いていた頃の顔を思い出し、亡くなった方の名前を、名簿から削除するに、忍びなくてそのまま残している。それだけ定時制の絆は深く私の人間形成の上で大きな影響うを与えたくれた、仲間たちである。

竜ケ崎の柳誌が届いた。全ボツはやっと免れた。それでも足跡つたことには、変わりないと思えば、ありがたい。

午後はプールで40分歩きと泳ぎで1000m。いつものノルマをこなす。

晩飯は、シイタケ、サツマイモ、ニンジン、なす、いりこの天婦羅とみそ汁で済ます。万歩計は、5621歩

 

 

 

 

 

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

私は敗戦の年、国民学校高等科1年生であった。戦争にこそいかなかったが、勤労奉仕か、軍事教練で、日の丸に進め進めと叩き込まれた口である。敗戦後には、特攻帰りの若者が代用教員として帰ってきたが、いきなり民... 「日の丸に進め進めと教えられ」の続きを読む
昭和生まれの大人には、心当たりがあるのではないだろうか。最近の子供は、概して絵の上手な子が多いのは、落書きでのトレーニングを積んだせいかも知れない。子育てのころ、反省を込めててつくっだ句である。 今日... 「らくがきを叱る大人に夢がない」の続きを読む
父は30歳で、昭和13年二月に母は63歳で昭和47年7月に亡くなった。どちらかといえば、親には縁の薄い人生であった。いま私は、父母の知らない坂を登っている。毎日新しい景色を見ながら生きているが、幸せな... 「傘寿坂父の知らない坂登る」の続きを読む
固定資産は耐用年数が過ぎても、ものによって違うが、10から5パーセントは、価値が残っている。といっても、50年ほど前に土建屋の経理をしていた頃の話。今は税法も変わっているので、残存価格があるのかないの... 「目も耳も残存価格だけで生き」の続きを読む
選挙に出たら家内の票もなかったという笑い話がある。ことほど左様に、男と生まれたからには、一度は立候補してみたくなる。しかしこれも若かった時の話である。最近では、あまりうまみがないのか、地方都市の市会議... 「厄年は済んだ選挙にでも出るか」の続きを読む
コーラーは武器を売りつける露払い。今では予算もついていないのに、何か年計画の名のもとに、トランプさんと、武器の購入を約束しているようだ。周辺事態が急を告げていると言う名のもとに、防衛費はうなぎのぼりで... 「アメリカの正義コーラー売りつける」の続きを読む
Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K