とうがらし熟れて静かな退職日
あの日からも16年経った。つまり、この16日で八十六歳になる。今日もまだ万歩家計は、1万歩を超えた。たましまの大会の作句も出来た。森鴎外の渋江抽齋もノルマだけは読むことが出来た。誌上大会への投句も、今年に入って、今日までに2社ほど済ませ、近郊の大会へはまだ行けそうであるが、全没が多くなるのは、いたし...【続きを読む】
食事会娘夫婦のサプライズ
我が家は正月2日に食事会をすることになっている。家内は2019.1.1が誕生日なので、家内の為のバースデイケーキで祝ってくれた、サプライズで食事会が大いに盛り上がった。家内曰く、私は昭和14年1月1日の誕生日で、戦争中の事でもあり、誕生日にあらたまって祝ってもらったことがなと、元旦...【続きを読む】
おみくじは、大吉と末吉
家内が足が痛いと言うので歩いて5分の宇佐八幡へ、車で初詣に行ったら、渋滞に巻き込まれて、30分ほど待たされた。おみくじは、家内が大吉で、私が末吉。足して2で割れば、中吉でバンバンザイだが、おみくじはそうはいかないらしい。家内の物忘れは、今年は小康状態で納まってくれればと願うのみである。私の末吉は、今...【続きを読む】
明けましておめでとうございます。
今年も毎日恥をさらしながら、ブログを続けることが出来ました。長男は盆に親子4人で東京から帰ったので、正月は帰らないとのこと、、長女は大阪八尾から元旦の夕方帰ってくるとメールあり、次女は市内に住んでいるが2日の夕方孫を連れて、お年玉をもらいに来るらしい。じいとばあにはどっちみち用はないらしい。
年越し...【続きを読む】
抽象の馬が方向見失う 2002
抽象の馬とは私自身。当時定年を1年残した69歳である。迷いに迷って川柳奉行の立ち上げを決断した年でもある。苦しみの中で出来たのがこの句である。方向を見失いそうになった時助けてくれたのが、隣組の投句を続けてくれた柳友である。その中にはもう鬼籍に入られたかたが、数名いるが、今でも残って、奉行を支えてくれ...【続きを読む】
島中がシャネルの5番みかん咲く
島育ちの私は、5月に咲くみかんの花の香りが、シャネルの5番と思ったには、島を出て、会社勤めをしてからだった。島で育っていたころは、ミカンの花が咲くころ、身近に決まって喘息になる人がいたし、空襲警報で明け暮れていたので、香りを楽しむ余裕はなかった。17歳で会社勤めをし、女に囲まれた職場で、色気付き出し...【続きを読む】
湯加減を問うて娘に叱られる 1998
こんな若い日が、私にもあったが、今では、二人とも老いぼれて、家内は足が痛いと言い出すし、私も、膝にヒアルロン酸を、2週間に1回、注射する始末。
今年も28日、忘年会も済み、プールも昨日すみ、GGも今日終わった。お好み屋だけは明日まで営業。あとは、ちょっとした掃除と、30日に買い物をすれば、今年の行事...【続きを読む】
体育の時間にメガネ置き忘れ
私は小学校2年生からメガネをかけていた。体育の時間には、運動場の片隅にメガネを置いて、駆けっこや、鉄棒をしていた。その頃はまだメガネに慣れていなかったので、メガネをかけるのを忘れて、教室に入ってから気づくような、へまばかりしていた。学校で気づけばまだよい方で、家に帰って気づいた時には、もう日が暮れて...【続きを読む】
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