随分前の話であるが、広島空港が三原市に決まる前、田中角栄さんの刎頸の友であった、小佐野賢治が、関係をする土地を買い占めたと言う話が合った。そこの土地はは戦後引揚者が苦労して開墾し、一時は小学校の分校まであった、かなりな規模の集落であった。貧困の時代から、バブルに向かう中、広島空港は三原市に決まった。そんな時、多額の補償金に、最初は関係者もびっくり、そんな時、誰それは、何億円もらったなど言わず、隣は二メートル、いや向かいは、三メートルなどと、言っていたそうである。しかし、その後、あまり幸せになったと言う話は、あまり聞かなかったようだ。
空港本体の工事にかかわれる、資金も技術もなかったわが社でも、着工前に、既存のため池を改良す工事は、何本かかかわったが、この時、ため池の越流部の曲線に突き当たり、関係役所や、コンサルに問い合わせXのn乗であることがわかり、当時普及した、関数計算機でクリアしたことが、今でも懐かしい。
万歩計は、3174歩
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