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戦前の今治通いの客船には三等席二等席と言って、仕切られていた。二等席の客には上等な茶菓子出ていたが、三等席には何も出なかった。私はいつも三等席だったのでうらやましかった。

戦時中汽車は、呉線の海側の窓はすべて板で覆われ、何も見えないようにしてあった。敗戦後は無蓋車の方が多くて、安芸阿賀から呉に通じる、長いトンネル抜けたあと、みんなの顔も、鼻の穴も真っ黒であった。いつの世も、安物の命は粗末に扱われていた。

その安物の命も、傘寿越えて6ヶ月が過ぎ、多少のメンテナンスのために、月2回の腰の注射を打ちに、クリニックに行く。もう少し長持ちをするために。

家内は朝も昼も、思うようには食べてくれなかったが、晩は、芋粥(卵入り)を中くらい茶碗に、一杯、梅干しと。モズクの酢の物で、食べてくれた。

万歩計は4.307

 

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