この句は私が19歳の時、今から67年も前に、読売新聞の初めて掲載された句である。17歳で入社して2年。その頃は、ユニオンショップ制と言って、入社と同時に労働組合に入ることが義務付けられていた。若気の至りで何もわからないのに、労働組合の使い走りのような仕事をしていた。そんな頃、旧制中学を出ただけの係長が、職制の権利を振り回して,えらそぶっていたのが癪に触っていた時に作った、初めての川柳らしいものである。この権力に抗う姿勢は、今も変わっていない。

今日は小さな親切運動の会の役員会であった。来る26日に、小さな親切運動実行章の伝達式と、あとで新年宴会の、打ち合わせの打ち合わせと、役割分担行って散会。帰りに、信号待ちをしていたら、大きなスクリュウのモニュメントが、駅前の2号線沿いにあるのをパチリ。そういえば三原は、造船の街でもある。
久しぶりに家内を連れて、近辺の高等学校が、絵画、写真、書の展覧会があったので見に行った。分かったのか、分からないのか、一応全部見てくれた。私としては、書にしても、絵画にしtでも、大作の元気には圧倒され、よい目の保養になった。中でも養護学校の、山下清ばりの、点描の大作には圧倒された。
話は変わるが、会場へ行くまでのエスカレーターにスムースに乗れなかったのに驚いた。物忘れだけでなく、運動神経も悪くなったのかと驚いたので、10回くらい登り下りの練習をさせたら、何とかうまく行けるようになった。
万歩計は10.496歩今日はノルマ達成。
Loading...














































