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抽象の馬とは私自身。当時定年を1年残した69歳である。迷いに迷って川柳奉行の立ち上げを決断した年でもある。苦しみの中で出来たのがこの句である。方向を見失いそうになった時助けてくれたのが、隣組の投句を続けてくれた柳友である。その中にはもう鬼籍に入られたかたが、数名いるが、今でも残って、奉行を支えてくれる人がたくさんいる。こんなことを考えながら、句集川柳擬をめくっていたらこの句に出会ったので、ちょっと立ち止まって、無駄話をしてしまった。

無駄話のついでに、定年1年残して69歳は少し話が違うと思うかもしれないが、当然会社は60歳定年で、その当時は、60歳で年金も満額貰える時代であった。定年前に社長に呼ばれ、まだ体も動くし、定年延長を乞われた。当時、一級土木施工管理技士は、大企業には掃いて捨てるほどいたが、中小ましてや零細企業へは、まだそんなにたくさんはいなかった。わが社にも2名しかおらず、現場ごとに、一級の現場代理人が張り付くことが、義務付けられていたので、そのため残ってくれと言うことであった。年金をもらいながらでは、出勤日数に限りがあるので年金の事で悩んでいたら、家内が三原の1部上場会社の経理にいたので、「お父さん65まで保険料を払って65から年金をもらったら」と言うので、それに決め70歳まで勤めさせてもらった。川柳奉行の事は定年になったら本腰でやろうと思っていたので、定年1年前に立ち上げた次第である。

正月の買い物に行ったが、殺気立った様子はなく、平生と変わらぬお客であった。まだ30日のせいかも知れないが、政府が宣伝するほど景気はよくないようである。

晩はロールキャベツと湯豆腐に、白菜の漬物。30日も真面目に歩き。万歩計は7.496

 

 

 

 

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