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73年前前の私は12歳。夏休み返上で、防空壕を掘らされていた。芋畑になった、運動場の隅で朝礼をしていた時、ピカッと光ってドーンと言う音がが聞こえ、入道雲の大きなのが、黙々と湧き上がって、あとは元の暑い夏日和に戻り、防空壕の掘削作業に戻って行った。これが直線距離で東に、約30キロ離れた所で、体験した原爆であるである。場所が原爆投下地点より東側だったので黒い雨被害には合わなくて済んだ。ピカっと光ってドーンと鳴ったので、ピカドンと言っているが、最初は、ガスタンクの破裂だとか、新型爆弾だとか言っていた。2.3日立つと負傷者が広島から帰ってきたが、体じゅう、包帯で巻かれ、出ている部分は白いチンク油が塗りたくってあるだけで手の施しようがない状態であった。あとで聞いた話だがその当時、チンク油しか薬がなかったと話をしていた。連れて帰られた患者も、1週間位でほとんどが亡くなって行った。悲しい夏の日の思い出である。

 

 

たまたま今日は奉行の句会であった。下の写真のヤクルトは、有志のの差し入れで、三歳の商品である。出席はいまいちであったが、この前の雨で、山陽線の三原-広島間はまだ不通で来られない人や、断水で生活のリズムが狂い、転倒して、骨折した人や、私もトイレの水を川に汲みにいって転倒。足の裏を切って、5日ほど医者通いで苦労しましたが、句会には、何とか出席出来ました。このたびの、豪雨禍は、居宅を無くした人は勿論、目に見ないところで、様々な不都合が起きました。

万歩計は4.403歩で少しさみしい。

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