あの日は雲一つないよく晴れた日だった。僕は国民学校高等科1年生の12歳。朝から、防空壕を掘るために、朝礼をしていた。閃光の次にどどっと言う地響きそのあとに西の空に上がったきのこ雲をあの時この目ではっきりと見た。呉の近くの下蒲刈島にいたので、爆心地からは30キロくらい離れていたが、広島のほうで何か大変なことが起こったと言うことだけはわかった。人々は広島のガスタンクが破裂したんじゃそうなと言っていたが、当時はデマも禁句であったので、陰でひそひそ話をしていた。それでも、あくる日には、新型爆弾とか、見たままのピカドンなどと言っていた。それから1週間くらいたったころ、広島の修道中学に行っていた先輩が、担架に乗せられかえってきたが、体中包帯にくるまれ、わずか露出しているところは、チンク油で塗りたくられていたがすぐに亡くなった。クマゼミが激しく鳴いていたのを覚えている。
今日のウオーキングは90分。
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賢悟さん こんにちは。
たいへんなことを経験し、たいへんな思いをしながらの成長期であったのですね。
眼から火が出たと母親逃げ帰り(賢悟さん)
見た、聞いたというのではなく実際に体験したこと、実感したことは本当に血のかよった句になるのだなあと思います。
わたしは戦争を知りません。が、知る努力はしていきたいです。
それでも、体験したかたとおなじ重みではわからないでしょう…
賢悟さんが前回今回と書かれているようなお話を、たくさんききたいです。
渋谷さくら様
返信ありがとうございます。戦争の話をしたら、じいちゃんの話はもう聞き飽きたといって相手にしてくれませんが、それでも、小学校くらいまではよく聞いてくれていました。確かに私は敗戦の時、12歳なので鉄砲で人をめがけて撃ったことはありませんが、敗戦後に進駐軍が来て、女の人を襲ったりしたような話はたくさん聞いています。我が家でも、進駐軍が来たら、軍人の写真などはあったらいけないと言って、海辺に持って出て全部焼き捨てたものでした。
戦争の事については、折に触れ書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。