71年前の8:15分広島に原爆は落ちた。約30キロくらい東の、安芸郡下蒲刈村(現呉市下蒲刈町)に住んでいた。私たち一家は父を亡くして7年目、母方の里へ親子3人が寄留していました。当然のことながら生活は苦しく、母は縫い物の傍ら、時には近所のミカン畑の草取りを手伝って、なにがしかの賃料を頂き、生活の足しにしていた。八月六日の朝は抜けるほど空には雲一つない、大変暑だったが、その朝も母は畑に出て草取りをしていた。その時、8:15ピカドンは落ちたが、それが何ともわからず、少し気分も悪かった母は目から火が出たものだと思い、ほうほうの体で逃げ帰ったというのである。私はその朝勤労奉仕で、大人に混じって防空壕を掘る手伝いをしていたので、夕方家に帰って、母が寝ているので、わけを聞くと、上記のような次第であった。眼から火が出たとと言った母も原爆の確かな証言者の一人である。8/6が来るたびに母のことを思い出す。
朝川柳奉行の柳誌を車で配達。その後読諸、車椅子の上の17歳の青春・たとえぼくに明日はなくとも 石川正一 。昼食は近所のお好み焼き屋。午後、竹原川柳会60周年記念川柳大会の課題吟に挑戦。夕食後ウオーキング70分。
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お元気ですね。
昨日「川柳奉行」ありがとうございます。
71度目の原爆忌、8時15分の黙祷は糖尿病定期検診の病院で
NHKの中継、平和の鐘を聞きながらしました。
広島は原爆のこと、勤めで行っていた岩手は津波、一年中
テレビで何か放映しています。それでも五年前あの大津波、
あの被害ですからね。人災と天災の違いはありますが。
返信ありがとうございます。8/6はどこに居ても黙祷は欠かせません。あの日の事はなぜかよく覚えています。私は12歳の夏でした。暑さには気を付けてください。