Loading...Loading...

「川柳漫遊記」シリーズ(25)

平成19年の秋田の旅の続きです。秋田市内のホテルに3泊しましたが、秋田に行く前に角館で降りてみました。「角館」をネットで調べますと、

「角館は戦国時代には戸沢氏の本拠地であった。関ヶ原の合戦後の1602年(慶長7年)、戸沢氏が常陸多賀郡へ転封、佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となる。翌1603年(慶長8年)、佐竹義宣の実弟にあたる蘆名義勝が所預(ところあずかり)として角館に入った。

蘆名氏の入部当時、角館の城下町は角館城の築かれていた小松山(現古城山)の北側の麓にあったが、狭隘な上に、水害や火災にしばしば見舞われたことから、1620年元和6年)、現在の位置である古城山の南麓へ町を移転させた。現在地は、西の檜木内川が自然の堀となっており、北が丘陵地となり、東には小残丘が点在して、南にひらけ、南西側は檜木内川と玉川合流点があって天然の要害をなしている。

新しい城下町では、道路の幅員を広げるとともに見通しを避ける工夫をこらし、下水を整備し、火事対策を施して武家地、町人地、寺社を配置した。火事対策としては、南北に細長い町を東西に貫く形で中央に土塁を築いた「火除け地」をつくり、その北側を武士の居住区である内町、南側を町人の居住地である外町とした。同年、一国一城令により、角館城は破却された。なお、蘆名義勝は、当初は小松山の中腹に館を構えたが、義勝夫人が城中で妖怪を視たため居館を麓に移したという伝承がある。

蘆名氏の支配は3代続いたが、1653年承応2年)の蘆名千鶴丸の死により蘆名氏が断絶。代わって1656年明暦2年)に佐竹氏の分家である佐竹北家佐竹義隣が角館に入り、以降明治まで11代続いた。」

角館は武家屋敷通りで有名ですが、その中で青柳家に入らせて頂きました。歴史的な資料が山盛り、観覧料500円は安すぎました!お昼は稲庭うどん!のんびりの一日でした。

角館二人で歩く武家屋敷   潤



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K