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9月20日に亡くなられた真島清弘さんに関する追想記事が佐賀新聞に掲載されていますので全文を紹介致します。

「〈ペンを持つ時は確かに生きている〉 川柳を心から愛し、川柳を人生とした。佐賀番傘川柳会の西村正紘会長(77)は「日々の暮らしをそのまま詠んだ句は、ホッとする温かさがあった」と振り返る。川柳と出会ったのは50年前。当時はまだ若者の身近に文学があり、気軽に応募した県文学賞でいきなり2席に。審査員だった同川柳会の北島醇酔会長に誘われて例会に参加するようになった。

妻美智子さん(72)と結婚したのも同じ頃。美智子さんも自然と句を詠むようになり、授かった幼子を抱いて句会に足を運んだ。子供たちも澄んだ感性で川柳に接し、いつしか「川柳一家」と呼ばれるようになった。

勤めていた会社の社内川柳同好会を起点に、仲間と句集を出すために結成した「わかば川柳会」は、県内川柳を盛り上げた。結成当時は平均年齢23歳。メンバーからは、県文学賞上位入賞など相次いだ。西村さんもその中の一人で、「清弘さんとわかばに育てられた」と当時を懐かしむ。

同会が運営する「吉野ケ里川柳大会」は、今年4月に40回の記念大会を迎えた。アットホームな雰囲気に県外からも参加者が増え、今では200人超が参加する九州最大規模の川柳大会に育った。真島さんが大事に育てた野草の苗など、心のこもったお土産も参加者の楽しみだった。

庶民の文芸を盛り上げようと、初心者から温かく指導した。膵臓がんが見つかった1月には、県内の芸術文化の向上に貢献した人に贈られる内山文化賞を受賞。西村さんは「県内の大黒柱がいなくなり寂しいが、清弘さんがまいた種を大事に育てていきたい」と故人に誓う。」

以上が記事の内容だが、幣の「潤」という雅号は5年前に清弘さんに頂いたものだ。潤に替えたとたんに番傘本社の同人巻頭に選ばれたのは懐かしい思い出。所縁のあるこの雅号に恥じないように精進しなければと思う。記事にもある吉野ケ里大会にはほとんど毎回お邪魔させて頂いている。ある時は大会の翌日の佐賀新聞に「わがままな卑弥呼に会いに吉野ケ里」の清弘選の幣の句が掲載されて驚いたこともあった。「わがままな卑弥呼」がどなたかは言わないが、清弘さんにはただ感謝のひと言である。今年の吉野ケ里大会の翌日、清弘さん、美智子さんと三人で食事をした後、JR鳥栖駅まで送って頂いたのが最後になってしまった。

清弘の披講で潤という呼名   潤                     合掌



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追想メモリアル”にコメントをどうぞ

  1. 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2018年11月15日 at 7:21 AM :

    佐賀新聞の追想記事アップ、有難うございます。
    様子がよ~く分かりました。
    それにしても昔は、20代から川柳になじんでいたのですね。
    改めて、真島清弘さんのご冥福をお祈りいたします。

  2. 久美子 on 2018年11月16日 at 1:48 AM :

    ありがとうございます。

    泣いてしまうけど、お父さんの分まで頑張るけんね!!!

    お母さんも大事にします!!

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