抽象の馬が方向見失う 2002
抽象の馬とは私自身。当時定年を1年残した69歳である。迷いに迷って川柳奉行の立ち上げを決断した年でもある。苦しみの中で出来たのがこの句である。方向を見失いそうになった時助けてくれたのが、隣組の投句を続けてくれた柳友である。その中にはもう鬼籍に入られたかたが、数名いるが、今でも残って、奉行を支えてくれ...【続きを読む】
島中がシャネルの5番みかん咲く
島育ちの私は、5月に咲くみかんの花の香りが、シャネルの5番と思ったには、島を出て、会社勤めをしてからだった。島で育っていたころは、ミカンの花が咲くころ、身近に決まって喘息になる人がいたし、空襲警報で明け暮れていたので、香りを楽しむ余裕はなかった。17歳で会社勤めをし、女に囲まれた職場で、色気付き出し...【続きを読む】
湯加減を問うて娘に叱られる 1998
こんな若い日が、私にもあったが、今では、二人とも老いぼれて、家内は足が痛いと言い出すし、私も、膝にヒアルロン酸を、2週間に1回、注射する始末。
今年も28日、忘年会も済み、プールも昨日すみ、GGも今日終わった。お好み屋だけは明日まで営業。あとは、ちょっとした掃除と、30日に買い物をすれば、今年の行事...【続きを読む】
体育の時間にメガネ置き忘れ
私は小学校2年生からメガネをかけていた。体育の時間には、運動場の片隅にメガネを置いて、駆けっこや、鉄棒をしていた。その頃はまだメガネに慣れていなかったので、メガネをかけるのを忘れて、教室に入ってから気づくような、へまばかりしていた。学校で気づけばまだよい方で、家に帰って気づいた時には、もう日が暮れて...【続きを読む】
七桁も書かせてはがき舞い戻る
その昔、郵便番号が五桁から七桁になった。自分の過ちはそっちのけで、ぼやいた、ぼやき川柳である。いま、土曜日のラジオで、大西泰世さんが、ぼやき川柳をやっておられるが、大会などの選者の句とはだいぶ違う様である。どちらが良いとか悪いとか、言う気はないが、庶民のぼやきも立派な川柳である。それが証拠に、新聞の...【続きを読む】
潮騒の地図から消えた島がある1994
大東亜戦争中に、地図から消えた島が、広島県にあった。言わずと知れた当時の、豊田郡忠海町(今は竹原市忠海町) 大久野島である。国際条約違反の毒ガスを製造をしていた。その時は男も女も徴用で引っ張られ、毒ガス製造の作業をさせられていた。確かイペリットとか言う薬品の後遺症で苦しんだ人が私の周りに、最近まで、...【続きを読む】
しめ縄の絆ビールも日本酒も
地域の老人会が長年続けていろものの一つに、しめ縄作りがある。地域に、二十数か所ある祠の、掃除と、新年を迎えるに当たり、新しいしめ縄を取り付けて、新年を迎えるのである。その縁で、忘年会という、般若湯と言うお神酒を頂く会がある。しめ縄作る人がだんだん減って、この会もいつまで続くかわからな...【続きを読む】
むつかしい事は云わずにリンゴ描く 1994
この句は1944.6.3号のアサヒグラフの「かたち」の兼題で、新子座に掲載された句である。「そうね、それがいい。リンゴの形はストレート。幼児がクレヨンで描く最初の花がチューリップ、果物はリンゴ。人間はおかあさん。あの原点へ帰ることだ。一日も早く。」とは新子さんの選評。ちなみに、このころの新子座では、...【続きを読む】
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